ヤミと帽子と本の旅人より〜未だ見ぬボクを探して〜
作者:SOLさん
ヤミと帽子と本の旅人より〜【未だ見ぬボクを探して 第二話『過失』】 姉さんの部屋は、月明かりで青白く照らされていた。 ボクはドアの隙間から音を立てずに滑り込んだ。 姉さんはベッドに横たわり、安らかな寝息を立てている。 「(わざわざ、人を呼び出しておいて・・・でも・・・)」 でも、先程のメールから何分も経っていない。それに、この無駄に挑発的なネグリジェ姿・・・。 ボクは構わず手探りでスイッチを見つけ、部屋の照明を点けた。 部屋全体が橙白色に染まり、理由の無い不安も幾分和らいだ。 それでも姉さんは相変わらず同じ姿勢のまま寝息を立てている。 ボクはペーパーナイフを机に置くと、 腕を組んで椅子へ座り、できるだけ冷たく言い放った。 「起きてるんだろ、姉さん。」 姉さんはピクリとも動かなかった。だが、ボクもここで折れる訳にはいかない。 しばらく沈黙が続き、やがて姉さんは観念して体を起こした。 少しの悪びれた風も無く、枕を抱えてちょこんと正座している。 時計は11時55分を指している。ボクは構わずたたみ掛ける。 「大事な話って、何? 用があるならさっさと済ませなよ。」 しかし、姉さんの様子がいつもと違う。 黙ってボクを見つめているだけだ。その仕草が何故か懐かしい・・・ 「(この感覚・・・どこかで・・・?)」 しばらく無言で見つめ合っていたが、姉さんはおもむろにボクを指差した。 続けて左手を胸の前で握り、その手を上から磨くように右掌を二度回した。 その瞬間、思わず息を呑む。 全身に稲妻が走るのがわかる! なぜ、その手話の意味が理解できるんだ?! いや、理解したんじゃない、声にならない声がボクには確かに聞こえた! 『葉月ちゃん、愛してるわ・・・』って!! 衝撃がいつもの発作を伴い、全身を駆け抜ける! いや、いつものやつとは比較にならない!! 息遣いが激しい。心臓が早鐘のようだ。体が硬直して小刻みに震えてる。 閉じた瞼に浮かぶ、赤いリボンをした少女の姿・・・・ どうして・・・悲しくなるんだ? 暫くの間、椅子から崩れ落ちないように体を支えることしかできなかった。 ただ、姉さんが近づいてきたことだけは気配で判った。 力を振り絞り顔を上げると、暗闇の中でボクを見下ろす姉さんの姿・・・・ いつの間にか消された照明の中で、姉さんの瞳だけが紫色に妖しく輝いていた。 「姉・・さん・・・?」 そう言ったつもりだが、殆ど声にならなかった。 姉さんは椅子の上で身動きの取れないボクの肩を優しく支えると、 ゆっくりと椅子の背に持たせかけてくれた。 でも・・・それだけじゃなかった。 そのまま、ボクの瞳を覗き込んだかと思うと、 ボクの胸に手を添えて、そっと胸の谷間に顔を埋めてきた。 ようやく静まりかけたボクの心は、更に暴走した。 金色の髪からシャンプーの甘い匂いが漂ってくる・・・ 触れ合っている箇所が燃えるように熱い。 制服の上からでも姉さんの唇の感触をはっきりと感じる・・・ 下腹に当たる姉さんの心音・・・、 途端にボクの激しい鼓動も姉さんに筒抜けだと気付いて、恥ずかしくて思わず身をよじる。 だけど、その行為はボクと姉さんの密着面を更に増やしただけだった。 こんなこと、初めてなのに・・・過去にも経験した気がするのは、何故? ボクの記憶が・・・、混乱しているのか?・・・・ 脳裏を過ぎる赤い目の少女・・・・、ボクは・・・この娘を知っている? 横目で時計を見る。11時58分、さっきから3分しか経過していない・・・ 苦しそうなボクの吐息だけが、規則的に部屋に響いていた・・・ ボクはどうしたら良いんだろう、この異常な状況を・・・・ 何が始まろうとしているのだろう?・・・・、ボクには判らない。 姉さんは・・・、ボクのことを求めてるの・・・? 永遠とも思える時間が経過した。時計は11時59分を指していた。 ボクは堕ちていく誘惑に駆られていた・・・、でも覚悟は決まらなかった。 もう、成り行きに任せるしかなかった。 自分の気持ちを決められないまま、背中に手を回そうとこわばる両腕に力を入れた。、 震える両手を背中に回すと、僅かに触れた瞬間 姉さんが猫のようにピクッと反応した。 少し力を入れて抱き寄せれば、ボクの運命は決まってしまう・・・・そう思ったとき、 「ごめんね、葉月・・・・」 姉さんはそう呟くと、ゆっくりと体を離していった。 ボクは狐につままれたように呆けて、初めて自分が泣いていることに気がついた。 姉さんは、時計を見てボクに言った。 「これが最後のチャンスよ・・・葉月・・・」 時計の文字盤が『12:00』へと変わった。 姉さんの体から、眩い光が溢れ出す。 全身で光を浴びながら、ボクの思考回路が更なる混乱の淵へと追いやられていくのを感じた。 次第に鮮明になる記憶、リボンと同じ紅い瞳をした、ストレートヘアの少女・・・・ その少女が光の中で消え去っていく光景が、目の前の事態とオーバーラップする。 間違いない、ボクは前にも同じ経験をしている!! 「(この娘、覚えてるよ。 ボクの大事な人だから、それが判る、名前は・・・くっ、 何が邪魔してるんだ?、いや、今なら思い出せるよ、キミの名前、 ・・・・・ そうだ、何故忘れていたんだ、初美のことを、『初美っ』!!)」 記憶の扉がこじ開けられたのが、はっきり判った。 蓉子、クィル、ミルカ、藤姫、レイラ・・・・ 懐かしい人々の顔が、セキを切って溢れ出す。 やがて、光が収束してボクの目の前に立っていたのは・・・・ リリス・・・ 「リリス・・・・、君なのか!?、どうして、どうしてこんな事に・・・・?」 リリスは瞳を潤ませながらボクに抱きついてきた。 「やっっっと、思い出してくれたぁ、一時はどうなるかと思ったじゃない〜」 「何が、どうなってるんだ!!、それに・・・、 初美は、初美はどうしたんだっ、ね?、リリスっ!!」 しかし、リリスはボクの問いを完全に無視して呟いた。 「よかったぁ、葉月が消えなくて・・・」 ボクはびっくりして問い返した。 「・・・・何言ってるんだよリリス。ボクが・・・消える?」 リリスは体を離すと、ボクを見つめて頷いた。 「そーよ、おでこちゃんのミスで、葉月が永遠に失われてしまうかも知れないの。 葉月の記憶が戻ったからひと安心だけど、この世界に長居はできないわ・・・ 詳しい説明は、図書館でするから・・・、急いでこの世界を出ましょ?」 そう言うとリリスは立ち上がり、手に持った鞭で空間に楕円を描いた。 そこに別世界への入り口が穴を開けた。 「葉月だけ、先に行っててね? リリスちゃんには、まだこの世界でやることがあるんだから。」 ボクはペーパーナイフを掴み、入り口の前に佇んだ。 ここを通り抜ければ、もうこの世界には戻れない、何故だかそれが判っていた。 ただ、初美の記憶を取り戻した以上、この世界に留まる事は到底できそうにない。 それに、ボク自身の存在が危険に晒されている、選択の余地は無かった。 「さ、急いでっ。」リリスの催促がボクの覚悟を後押しする。 ボクは、心の中で『この世界』と『この世界の愛すべき人々』に別れを告げて、 虚無の世界へと身を投じた。 第三話『矛盾』に続く |