ヤミと帽子と本の旅人〜ショートストーリーズ〜

ヤミと帽子と本の旅人より〜未だ見ぬボクを探して〜
作者:SOLさん

ヤミと帽子と本の旅人より〜【未だ見ぬボクを探して 第一話『姉妹』】

突然の強い日差しでボクは目を覚ました。時計を見るといつもより20分も早い。
ベッドを抜け出して、窓越しに5日ぶりの青空を見上げた。
昨日まで空一面を覆っていた黒雲はどこにも見あたらない。

かるいストレッチで体をほぐしてから身仕度に取りかかる。
7時ちょうどにミニコンポからピアノソナタが流れ始めた。
天を仰ぐようにしてセーラー服に手を通し、すこし短めの裾を腰まで下ろす。
えり足から黒髪を托しあげ一気に左右へ放つと、
陽光の中でボクの髪一本一本がパラパラと流れ落ちた。
ボクはこの瞬間が大好きだ。

「(今日は何か特別なことが起こる・・・そんな気がする。)」

タイミング良くミニコンポから『今日の運勢』が流れてきた。
こんなに気持ちの良い朝を向かえたんだ、悪いはずがない。
だけど聞こえてきた予想外の結果に、思わずリモコンを取った。
「・・・・
 くだらない。」

気を取り直し食堂に下りていくと、朝食が二人分用意されていた。
母さんはもう出掛けてしまったようだ。
仕事柄、両親ともほとんど家に居ない。家族四人揃ったのは確か三ヶ月前だ。
次に揃うのは父さんが帰国する来月だろう。その予定もアテにならないけど・・・。

でもボクは寂しいと思うことが少なかった。
電話やメールの何気ない言葉で、
ボク達姉妹を愛してくれていることは十分判っていた。
遠く離れていても、ボク達の心は繋がっている、そう確信していた。
ボクの口数が少ないのは、けして心を閉ざしているからじゃない。
相手を良く知っているから、余計なことを言わなくても分かり合える、
そう信じていた。少なくとも今の生活に何の不満も無かった。

だけど、ボクの心には何かが引っかかっていた。
ボクには何かが足りない、でもそれを言い表すことはできない、
ボクにも判らないから。
ただ、何か大事なものを忘れてしまった、そんな気がする。

「(何だろう、この気持ち・・・)」

そんなことを考えながらトーストとサラダを黙々と片付け、時計に目を遣る。
そろそろ姉さんを起こさなくちゃ・・・
そう思い始めた時、二階からバタバタと駆け下りる音が聞こえてきた。
けたたましくドアを開いて、姉が飛び込んできた。

「もうっ、葉月ったらどうして起こしてくれないのよぉ!」
「・・まだ、遅れる時間じゃないだろ。」
「それじゃ遅いのっ。今日こそカレの名前と携帯番号を聞く予定だったのにー!」
「・・・それ、月曜からずっと言ってるじゃないか。」
「こんなことしてる間に、他の娘に盗られちゃったりしたら、どーしてくれるのよぉ!」
「・・・・いつもそうじゃないか。」
「なんですって? もーいちど言ってみなさい、葉月!」

ボクは相手にするのを止め、食器を食洗器にセットした。
「ボクは、先に行くよ。」
そう言うと自分の鞄を掴み食堂を後にした。
「あぁん、葉月、待ってよぉ。」
トーストを掴んで、姉さんも慌てて追いかけてきた。

結局いつも通りの電車には、姉さんのお目当ては乗っていないみたいだった。
「はぁ、やっぱり遅かったぁ・・・」
姉さんはがっくりと肩をおとした。
珍しく車内が混み合っていたので、
ボクと姉さんは、自然と出口間際に向かい合って立った。
姉さんは少し残念そうに窓から景色を眺めている。
窓から差し込んでくる淡い光が、姉さんのウェーブヘアを栗色に染めていた。
光の加減で紫色に見える瞳が、姉さんの白い肌の上で輝いている。
ボクと同じ制服を着ているはずなのに、
胸のふくらみと腰のくびれが際立って見えるのが不思議だ。
こうして黙っていればステキな女性なのに・・・・

「なによ、人の顔をじろじろ見つめてぇ。」
視線に気付いた姉さんが、挑戦的にボクの瞳を覗きこんでいる。
ボクは咄嗟に切り返す言葉を探した。
「っ・・、その・・・。
 その、カチューシャは、やめた方が良いんじゃないかな・・・姉さん。」
「どうして?」
「その真ん中にはめてある青い石の模様。まるで瞳孔みたいで気味が悪いよ。
 視線を感じることもあるし。それに紫色っていうのも悪趣味だよ・・・」
「えー、そうかなぁ。似合ってると思うんだけどなー。
 それに、これが無いと髪が纏まらないのよぉ。」
「だったら、いい加減 短くしなよ。
 その長髪に、更にウェーブを掛けてるから凄いボリュームになるんだよ。
 ボクら、中等部の間で何て呼ばれてるか知ってるの?」
「しらなーい。」
「『高等部の魔女』だよ・・」
「だから何?。そんなこと、カンケーなーい。」
「姉さん、真面目に聞いてよ。」
「それにぃ、これ、父さんからのプレゼントじゃない?
 簡単に放り出したりしたくないの。わかった?」
「・・・わかったよ。」

会話が途切れ、姉さんは再び窓の外に視線を戻した。
それにしても、つくづくボクと対称的な姉だと思う。
外見の違いを言っているんじゃない。
感情を包み隠さないし、陽気で人懐こいし・・・
どれもボクとは対称的だな、そう思いながら姉さんを眺めていた。

気がつくと、姉さんもボクを見つめ返していた。心なしか紅潮している。
「どーしたの?。葉月ぃ、今日はやけにおねーちゃんを見つめたりして・・・」
「・・・何でもないよ。」
「そんな風に見つめられると、おねーちゃんもドキドキしてきちゃうよ?
 もしかして、あたしに惚れちゃったの?」
「違うよ・・・」
「こまっちゃうなぁー・・・
 でもぉ、葉月にだったらぁ・・・、何されても良いよ?」
近くに立っていたオジサンが、びっくりしてボクらを見た後、
居心地悪そうに視線を泳がせた。
「・・・・・」
ボクも電車を降りたいほど恥ずかしかった。
こんな台詞を、臆面もなく良く言えると思う。
でも姉さんがこういう態度を取る時は無視するのが一番効果的だ。

「・・・・・」
「それじゃあ、これからは恋人同士だからぁ、
 『姉さん』じゃなくて、『初美』って呼んでね?」

その瞬間、心臓を握りつぶされる様な切迫した感情がボクの心に溢れかえった。
それは心臓から脳にまでに逆流し、強い眩暈となって噴出した。
ボクは咄嗟に目頭を押さえて、それが通り過ぎるまで耐えるしかなかった。

「ん?。どーしたの、葉月?」
「・・・なん・・でもない・・よ。」
「ふーん。変な葉月ぃ。」

姉さんはボクをからかうのに飽きたらしく、興味を示さず窓の外に視線を戻した。
ボクは慌てて平常心をかき集め、心を静めることに集中した。

「(どうしてだろう、その名前を聞いただけで、
  こんなに動揺するなんて・・・)」

こんな風に動揺してしまうのも今日が初めてじゃない。
その症状も、眩暈を伴ったり涙がこぼれたり様々だけど、
止め処のない悲しみに襲われることだけは共通していた。
何故『悲しい』のかは判らない。
でも原因だけはハッキリしている。
『東 初美』、それは紛れもなく目の前にいる姉さんの名前だ。
姉さんが自分のことを『初美』と呼ぶとき、ボクは決まってこうなってしまう。
だから、ボクは姉さんを『初美』と呼んだことは一度もない。

『初美』という名前が嫌いなわけじゃない。この世にたった一人の姉さんの名前だ。
幼いころ病弱だったボクは、よく姉さんにすがり付いて泣いていたっけ・・・
その時の姉さんの顔は何故か思い出せないけれど、
ボクの髪を無言で撫で付ける姉さんの手の温もりが、今でも忘れられない。
ただ、今のボクに判ることは『初美』という名前が、
ボクにとって何か宿命的な意味を持っている、ということだけだ・・・

「ねー、ねー、葉月ぃ。」
突然姉さんはボクに近寄り、耳元で囁いてきた。
「・・・どうしたの?」
「あそこに立ってる、制服着てるカレ、ちょっとイイと思わない?
 次の駅で降りずにぃ、ついてってみようよ?」
ボクは、やれやれ、と思った。



その日の夕食は姉さんが作った。
いや、今日だけじゃない、昨日も一昨日もそうだった。
例によって母さんは帰ってこれないらしい。
だから自然と姉さんが夕食を作り、ボクが後片付けをする、そういうルールが出来ていた。
こうやって夕食の後片付けをしていると、今日の終わりが近づいている事を実感し始める。
姉さんはといえば、食後の紅茶を飲みながらボクを眺めていた。

「葉月ぃ、今日は何か良いことあった?」
ボクは、黙って首を傾げた。
「じゃ、ヤなことは?」
「・・・別に、何も無いよ。」
「ふーん、つまんなーい。」

実は一つだけあった。
帰宅途中、見知らぬ制服を着た女子学生から告白された。
一般的に可愛いと言える娘だったけど、
好意に応えるつもりはサラサラ無いので、あっさり断わった。
あの娘、泣いてたっけ・・・・
ボクは『その気』になれないけど、ボクのせいで誰かを泣かせてしまうのは後味の悪いものだ。
『同姓同士のトラブルに注意しましょう』という、今朝の占いの結果が頭を過ぎった。

「ところで葉月ぃ、大事な話があるんだけどぉ・・・」

姉さんの言葉でボクは現実に引き戻された。
「・・・なんだい、大事な話って。」
「明日、何の日か覚えてる?」
「・・・さぁ、何だったかな、忘れたよ。」
「嘘!。葉月がその顔をするときは、嘘ついてるとき!」
「・・・覚えてるよ、姉さんの十六歳の誕生日だろ。」
「やだぁ、覚えててくれたんだぁ、うれしいっ!!」
「・・・・
 で、大事な話って、なに?」
「・・・・・あのね、
 十六歳になる瞬間、どうしても葉月と一緒に居たいの。
 理由は・・・聞かないで。その時になれば判るわ。
 だから、今日の十二時前に、部屋に来てくれない?」
「・・・なに・・・言ってるんだよ・・・」
「お願いっ、このとおり。」

姉さんが珍しく真剣な目でこちらを見ている。
何故か今朝の占いが頭を過ぎり、妙な胸騒ぎを覚えた。
姉さんの真意は全く判らなかったけど、
こういうときの姉さんは、何か重要な相談を持ち掛けてくる、それだけは確かだった。
結局その思いが上回り、ボクの不安は心の隅へ追いやられていった。

「・・・・わかったよ、しょうがないな。」
「ホントにぃ!?、これだから葉月のこと好きになっちゃうのよぉ。
 それじゃ楽しみにして待ってるから。」

そう言うと、そそくさと自分の部屋へ引っ込んでしまった。
ボクも後片付けを済まし、自室へと戻っていった。



いつの間にか寝入ってしまっていたようで、
ボクはメールの着信音で目を覚ました。
慌てて携帯を引き寄せ、時計表示を確認する。
23時48分を指していた。
メールが来なければ、寝過ごしていたかもしれない。
そのメールは姉さんから送信されていた。

「部屋に来るとき、
 ペーパーナイフを
 必ず持ってきてね。
 葉月の部屋に
 あるはずだから。」

最近使った記憶が無いのに、それはボクの机の上に無造作に転がっていた。
ペーパーナイフとはいえ刃先が鋭く、うっかりすると手を斬りかねない代物だった。
「(姉さん、何だってこんなものが必要なんだ?・・・・)」

ペーパーナイフを手にし、自室からホールへと歩いていく。
照明を灯してからゆっくりと階段を上っていく。
歩き慣れた我が家だから、別に電灯を点ける必要は無いのだけれど、
無意識的に『光に包まれていたい』という気持ちに駆られていた。

姉さんの部屋の前に立ち、ドアをノックする。
返事は返ってこない。
ドアノブに手を掛けるが、そこで手が止まってしまった。
わけも無く緊張している自分がそこに居るのが判った。

「(この扉を開けると大変なことが起こる。
 どういうわけか、ボクはそれを知っている・・・)」

ドアノブに沿って手を滑らせ、しばし躊躇する。
ボクは意を決し、ゆっくりと姉さんの部屋に入っていった。

(第二話『過失』に続く・・・

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