作:葉月の神官さん

四之巻―荼吉尼天―


「玉藻の前じゃないか・・・どうしてこの時代に貴女が居るんだい?」

上座で盃を呷る女性は*壺折の唐織に緋大口という高貴な女性の装束を身に纏っていた
葉月は思いがけない場所での玉藻の前との再会に驚いた

「おいでやす葉月はん…今は玉藻の前じゃなくてダキニ天って呼んでぇな」

「でた…年増妖怪。何でアンタがここに居るのよ」

リリスは敵を見るような眼で玉藻の前ことダキニ天を睨み付けた

「帽子を取られて空中庭園で置き去りにされた事をまだ根に持っているのかえ?
まあ…そんな事はどうでもええがな。」

「どうでも良くない!!!」

「リリスの事はどうでも良いんだ。それよりか聞きたいことがたくさんある。」

「そんなぁ〜ヒドぃよぉ〜葉月まで…」

「そうやな…まずはこの時代に初美はんが召喚された理由からいいましょうか?」

「ギクッ!」

リリスの表情は心なしか青褪めたものに変わっていた

「それは私から説明しますよ。」

初美は話に割って入った

「お姉ちゃんがこの時代に遊びに来た時、伴笹丸と菊世というご夫婦の御世話になっていたの
このご夫婦は子供が居なくてね…お姉ちゃんが御二人の娘代わりになってあげていたの
そんな風に暮らしていたら豪農の息子から婚約の話が持ち上がったの。」

「このリリスにかい?」

葉月はリリスを指して信じられないような表情を浮かべた

「そんな言い方無いじゃん…」

「でもお姉ちゃん嫌がって自分そっくりの分霊を呼び出すことにしたの。
所謂“一人両身の法”なんて呼ばれているらしいけれど
とにかくその分霊を婚約相手に嫁がせて自分は大金をせしめて京に登っちゃったのよ」

「その分霊が可愛そうだな…まさか初美じゃないよね?」

「…最初は私を召喚しちゃったの。」

「リリス…」

葉月はこそこそとこの場から立ち去ろうとしていたリリスの腕を掴んだ

「初美だけでもこの世界から帰れば良かったじゃないか?どうして留まる必要があったの?」

「お姉ちゃんはジョウ=ハリーを借りるために私を召喚したの。
召喚した分霊に主人の命令を聞かせるには強力な呪具が必要だったからね
ジョウ=ハリーのおかげで分霊は大人しくお姉ちゃんの言う事を聞いていたの。ところが…」

初美は少し呆れたような表情でリリスを見つめながら続けた

「お姉ちゃんに貸していたジョウ=ハリーがいつの間にか盗まれていたの」

「何だって!!!それじゃあ図書館の管理人としての役目が果たせないじゃないか」

「ええ…それどころか図書館に帰ることも出来なくなったの。
それでこの世界に留まってジョウ=ハリーの行方を捜していたの」

「きっと…アイツがやったのよ。アイツしか考えられないわ。」

「アイツって誰の事だい?」

「リリムに決まっているじゃない!!!リリスちゃんそっくりの顔した生意気な奴」

「お姉ちゃんが呼びたかった分霊のことよ。」

「そのリリムが大姥を名乗りジョウ=ハリーの力を得てイブはんを滅ぼそうとしているんや」

玉藻の前が付け加えた

「なんで…リリスが狙われるのは自業自得じゃないか。
でもなんで初美の方が狙われなきゃいけないんだ?」

「自業自得…」

葉月の正論にリリスはかなり凹んだ

「リリムはどうやらヤミ・ヤーマのように創世を行うつもりのようですなぁ。
自分の事を第六天魔王の申し子と喧伝しはってる」

玉藻の前は初美の説明の続きを始めた

「第六天魔王?」

「第六天魔王…他化自在天とも呼ばれ、起源はヒンドゥー教のシヴァ神ともいいますが、
仏教における欲望と快楽を司る悪魔の事ですね」

お万がここに来て始めて口を挟んだ

「その通りや。あんさん物知りやなぁ。
第六天魔王ことシヴァ神は破壊と再生の神…リリムが目指している事は自ずと明らかや
せやけどリリムの霊力はいわば破壊の力。ジョウ=ハリーの力を得ても世界の創生は出来まへんなぁ
再生の能力がリリムには欠落しているんや。」

「だからヒーリングの力を持つ初美のソーマを欲しがっているのか…」

「その通りや。まあその話は置いといて京都へ上ってからの話を続けると
この時代で紅葉と呉葉を名乗って暮していた二人は源経基はんに偉く気に入られてな。
しばらく宮仕えすることになったんや。」

「源経基殿は清和天皇の孫であり、平将門の反乱を上奏し、藤原純友の乱を鎮圧された方です。」

お万はニュースも新聞も無い時代であるのにも拘らず大抵の出来事を把握しているようだ。

「だけど宮廷内で変な噂を立てられて…結局京の都からも立ち去らないといけなくなったの。」

「噂?」

「経基はんの奥方が病気になってな…変なものを喰わされたそうですな。」

「…イブのホットケーキよ」

ボソッとリリスは口を挟んだ

「どうして〜私が一生懸命作ったのに」

自分のしでかした事態の大きさを初美は把握できなかったようだ

「十世紀の日本でホットケーキなんか作るんじゃないわよ!!!
つーか材料と道具は何処でそろえたのよ!!!」

「…神官のお兄さんも知らないって(滝汗)」

「せっかくの玉の輿計画もパーになっちゃったじゃないの
どうせなら奥方が死ぬぐらいの物を作ればよかったのに。」

「・・・・・・」

「…てな感じでイブとリリスはん京を追われるんや
水無瀬村に辿り着いた二人は病人の治療なんかをやってやったら村人が喜んでなぁ
京を偲ぶ二人のために内裏屋敷まで立てられる程大切にされたんや。」

「初美は優しいからね…何処へ行っても歓迎されるんだよ。」

葉月は納得したように大きく頷いていた

「その優しいイブのせいで京を追い払われたんだけどね」

「お姉ちゃん水無瀬に来てから何もしなかったじゃない。」

「だ…だってリリスちゃんだってほら!マッチの火つけたりして村人を驚かせて尊敬を集めたじゃない」

「三日ぐらいで飽きられていなかったっけ?」

「五月蝿い!そもそもアンタがあのオバサンに変なもの喰わさなきゃ追い出されて苦労する事も無かったんだからね」

二人は言い争いを始めてしまったが、葉月は肝心な話を進めるために遮った

「で…平維茂の率いる追討軍が差し向けられた理由は以前お万から聞いたけれど
なんで彼等が初美を守ろうとしていたんだい?」

「ふふふふっ…葉月ちゃんはダキニ天の能力を知っている?」

「いや、宗教とか神とか良く分からないんだけれど。」

「荼吉尼天…天竺(インド)ではカーリーの侍女ダーキニー、
六ヶ月以前に人の死を知り法術をもってその心臓を喰らう悪鬼で、飲血鬼とも言います
死ぬべき人間の心臓を喰らえば法術が成就し、一日で世界を駈け、
自在にその欲することを行いうる力を持つといわれます。
しかし大黒天の力に屈して仏法守護の諸天に加わったそうです。」

「物知りのお万はん。それは俗説と言うものや。大黒天みたいな小僧にウチが負ける訳無いやろ?
どこかの修験者が勝手に作った出鱈目や。」

「さすが前様。国津神の長である大国主の化身大黒天を小僧扱いですか」

「三百万年生きているリリスはんにとっても小僧やろ?
ま…話を戻すとお万はんが言うようにダキニ天が心臓を喰らうっていうのはある意味正しいんや」

「ある意味と言うと?」

「男性達のハートを射止めちゃうのよ。」

初美は可笑しげに笑った

「はぁ?」

「ふふふ…ウチの蠱惑的な肢体と房中術にかかれば無粋な武人を虜にするなんて朝飯まえやで」

「房中術って…^^;」

話を聞かされたリリスはげっそりとした表情で青褪めていた

「そんな単純な理由だけで追討軍を抑えられるとは思えないな
なんか裏があるんじゃないのか?」

葉月は納得のいかない様子だった

「製鉄の利権…ですか?」

お万の指摘に玉藻の前は深く頷いた

「そうや…この地には製鉄技術がある。
水無瀬みたいな田舎で内裏屋敷のような建造物が出来たのは製鉄による利益を享受していたからや
最近は源氏や平氏のような武家はん達が眼の色を変えて鉱山の民に接触しているんや。」

「平将門の乱や藤原純友の乱を平定して力を増した彼等はまだまだ朝廷に影響力を及ぼすほどではないのですが
地方では各地で互いの勢力が鎬を削っています。既に各国の国衙は彼等の力抜きでは立ち行かなくなっています」

「実は経基はんの子ども**源満仲はんもこの地に接触していたんや。
そのことを知った維茂はんは帝から宣旨を賜って盗賊退治を理由に自分らが先に鉱業利権を得ようと思っていたらしいですな。」

「成る程…ただの伝承かと思っていた紅葉伝説もそういわれてみると現実味があるな。
要するに武家同士のくだらない縄張り争いに紅葉と呼ばれる初美が巻き込まれたわけか。」

葉月は歯を食いしばり拳を強く握り締めた。そのような理由ですぐに争いを始める男たちが許し難かった

「何時の時代も何処の世界でもしょうも無い闘争は付き物やで。
人の性というものなのか…ウチは嫌に成る程見てきたで。
ほんにヤミ=ヤーマは罪な生き物を作らはるな…」

其処へ今まで黙っていた維茂が口を開いた

「そうです。私は今まで愚かでした。一族のためとはいえくだらない戦いに明け暮れて…
そんな私をダキニ天殿はもっと大切なものがある事を教えてくれました。…愛に勝る大事はないかと。」

「いい年のオッサンが愛だなんて…本当に房中術でいかされちゃったのかしら?」

在り得ないと思いリリスは頭を抱え込んだ

「まあ水無瀬としても源満仲はんの事は信用しにくかったようで維茂はんに協力する事になるやろ。
ウチからも水無瀬に働きかけておくから安心せいな」

「有難き幸せ。この命に代えても紅葉殿をお守りいたします。」

「…鉱業利権と引き換えに初美を守ってもらおうってわけか。
だけど僕が居るから必要ない。だいたい初美は物じゃないんだ。」

葉月はいきり立った。不条理な大人達のやり取りは純粋すぎる彼女には耐え難いものだった

「あんさん一人じゃ無理や。
ジョウ=ハリーを手にしたリリムの破壊の力は自分が言うように第六天魔王に匹敵するものになっているんや。
ウチですら結界を張ってリリムの目をごまかすのが精一杯なんやから。」

「あら〜前様もたいした事無いのね。」

「…元はあんさんの分霊なんだから自分でどうにかしたらええやろ」

「…リリスちゃんコワ〜イ。」

「例え神様に匹敵するような奴が相手でも僕は戦う…初美を守るためなら。」

葉月は立ち上がった。これ以上この場にいるのは無用と思った

「何処へ行くつもり?葉月ちゃん?」

初美が心配そうに声をかけた

「決まっているじゃないか。大姥を名乗っているリリムって奴からジョウ=ハリーを奪い返して
さっさとこの不愉快な世界から帰るんだよ。」

「危険すぎや…リリムをリリスはんと同じ様に考えたら偉い事になりまっせ
見た目こそ瓜二つでも彼女は純粋な悪。慈悲や愛といった感情に一切無縁の純粋な闇の存在や。
あんさんがリリスはんと親しい事を知られたら必ず殺されるなぁ。やめときや」

「僕は負けない…初美を守るためなら。」

「葉月ちゃん…」

初美は葉月の悲壮なまでの決意に瞳を潤ませていた
二人の様子を見た玉藻の前は諦めた様に溜息をつくと言った

「葉月はんの決意は梃でも動かないのは良く分かったで
あんさんの好きにするがええやろ。ただ葉月はんがこのままでは勝てないのは事実や
お万はんに頼んで諏訪に行くとええやろ。」

「諏訪?なんで諏訪に行く必要があるんだい?」

「実はリリムの眼をごまかすために、結界を張って戸隠の幻術を見せていたんや
あんさんらが見た戸隠の廃墟は幻だったんや
リリムもまんまと騙されていたなぁ
結界を創る為にこの地に古くから存在する地祇(国津神)の力も借りているんや。
彼の力を借りればリリムを倒す事も出来るかもなぁ。」

「その神様の名前は?」

「ミシャクジ神。この国で未だに崇拝されている唯一の縄文神やで」

「そんな古臭い神様の力を借りたところでリリムに勝てるわけ?」

リリスは疑問をさしはさんだ

「古いからこそ霊力も強力なんや。
天津神に制圧されてこの地にやってきた***建御名方神もミシャクジを倒すには到らず封印するに留まったんや」

「諏訪大社もその根底は神奈備信仰にあります。
神奈備とは要するに自然信仰で神が鎮座する山や森の事を言います
諏訪神社には神殿がなく、神は山自体を依り代にしているのです。
前宮の神奈備山は守屋山にあります。ミシャグチ神はモレヤともモリヤの神とも呼ばれ
五官祝の神長官は守矢氏が勤めています。
守矢氏は仏教推進派の蘇我氏と対立して滅ぼされた物部守屋の子孫と言われています」

「ああ…物部氏が日本古来の宗教を守ろうとして仏教推進派の蘇我馬子や聖徳太子と
対立した事ぐらいなら歴史の授業でやったから知っている。」

「つまり征服者で国津神最強の武神建御名方神さえもこの地に根を下ろしていた縄文神ミシャグチ信仰の影響力を完全に抑える事は出来なかったんや
葉月はん。リリムと戦いたいのならミシャグチの力を借りるとええやろ」

「分かった…でも。人間の僕が行ったところでミシャグチ神は協力してくれるのかい?」

「リリスはんを連れて行くとええやろ。」

「へっ?何で私が?」

リリスは不思議そうな表情を浮かべた。

「リリスはんはミシャグチ神の知り合いや。あんさんの事だから覚えていないやろうけど。」

「ミシャグチ…うーん。そんなダサイ名前の神が知り合いにいたかな?」

かつてセイレンを生み出した理由も忘れ去ってしまったようにリリスの記憶力は老人並のようだ

「わかった…お万すぐに諏訪に行こう。」

「待って葉月ちゃん!お万さんは神工法の使いすぎと戦いで疲れ切っているのよ。
お願い。今日位は休ませて上げて。」

初美は愁いを帯びた瞳で切実に訴えた。
葉月はお万の体調の事を失念していた事に気がつくと同時に
自分以外の者を必死に庇う初美に対して微かな苛立ちを覚えた

「いいえ…紅葉様、心配はご無用です。さあ葉月殿。呉葉殿。参りましょう。」

立ち上がろうとするお万の手を初美は強く握り締め引き止めた

「貴女がこのまま無理を続けたら本当に倒れちゃうよ。
今まで貴女に散々守ってもらったのに、まだ何のお返しもしていないのに
…もし貴女が倒れたら私はどうすればいいの?」

「大丈夫ですよ。もし私が死ぬような事になっても貴女を守ってくれる方は出来ましたし…
ダキニ天様・維茂殿・葉月殿…皆私より強くもはや私は不必要です。」

「そんな事じゃないよ…お万さんの事は本当の御姉さんみたいに思うようになって来たのに。」

葉月は胸が痛むような気分になっていた。彼女は初美達に背を向けると襖に手をかけた

「まだ一人で行くつもりやないやろうな?葉月はん?」

玉藻の前は心配そうに声をかけた

「…心配ない。お万…明日一緒に行くから今日はゆっくり休んでね。」

葉月は低い声で言うと襖を開き廊下に出た

「葉月ちゃん…」

初美の声は葉月の耳に届いていたが答える事も無く襖を閉じた。





電気もガスも無い照明の乏しい中世の夜は早くおとずれる
布団の中に入った葉月は眠ることも出来ずに抑えがたい複雑な感情に囚われていた。
初美が自分にすら見せた事の無い表情をお万に向けていたからだ
認めたくないが自分がお万に対して嫉妬の念を抱いている事をはっきりと自覚していた
自分がずっと初美に対して許されぬ事と知りながら愛し続けていたのに初美は何ら葉月に応えることはなかった
だが葉月は初美と一緒に居ればそれで良いと思っていた。

―報われたいとは思わない―

そう言い聞かせて初美に対する愛をひた隠しにして今まで生きてきた

だが初美はお万に対して自分が初美に抱いているのと同じ恋愛感情を向けているような気がした
勿論これは本人から聞いたわけではない。葉月の思い過ごしかもしれない

しかし葉月の頭の中では初美がお万の事を愛している可能性について否定しきれなかった

沸き起こる感情を抑えることが出来ず葉月は掛け布団を跳ね除けると起き上がった

(直接本人に聞いてみよう…もし…もしも初美がお万の事をなんとも思っていないのなら
今夜僕が初美を抱く)

葉月は廊下に出ると初美の寝室に向かった
重大な決心を胸に秘めた彼女の胸の鼓動は自然に高まっていた。
初美の寝室の前に立つと微かな声が聞こえてきた

(まだ起きている…初美以外に誰かいるのか?)

葉月は存在を気づかれないように僅かに障子を開き、中を覗いた
初美の部屋は一際広く、障子から大分離れた場所に布団が敷かれていた

(誰かいる…)

葉月は最初盗賊に忍び込まれたのかと思ったが、輪郭からするとどうやら背の高い女性のようだ
女性の正体を確認すると葉月は思わず声を上げそうになるのをぐっと抑えた。

(お万!!!)

葉月は注意深くお万と初美の動向を見守っていた。
お万は本物の武士のように両膝を付いて初美に向かって頭を垂れていた
初美が何かお万に向かって何か話しかけているが内容はここまで聞こえてこなかった

(な…何をするつもりなんだ?)

初美はお万の頬にそっと両手を掛け、正面に向けると二人の瞳は重なった
お万の表情は葉月が覗く方向から良く見ることが出来なかったが
夜目にもはっきりと分かるように赤面した初美は恥ずかしげに笑みを浮かべると瞳を閉じた

(や…やめるんだ!!!)

葉月の言葉は声にならなかった

初美はお万のうなじに両腕を掛けるとそっとお万の唇に自らの唇を重ねた。

(!!!)

お万は遠慮がちに初美の背中に手を廻した。
長い口付けが終わり、解放された互いの唇から一筋の光が引いた
初美は恋人を見るような眼差しでお万を見つめていた

葉月はいたたまれずに障子を閉めると足早にその場から立ち去った





お万によって追い払われた鬼武等は諏訪湖の畔に集まっていた
鬼武率いる盗賊団約五十人
盗賊でもあるに関わらず元は平将門の従類であった彼等は物々しい出で立ちの武装を整えていた
彼らは四間草摺の胴鎧に蕨手刀を佩き、鉾と丸木弓を携え少し旧式な武具である事を除けば本格的な武士団に引けを取らぬ陣容だ


盗賊に身をやつしたとは言え彼らも元は一介の武士であった
主人の平将門が敗れて以来、平貞盛党や藤原秀郷党の執拗な追っ手達から逃れながら新たな主人を探していた
そんな折に、水無瀬村の紅葉こと初美の評判を聞きつけた彼等は興味本位に水無瀬を襲撃した
しかし、お万の武勇と初美が召喚した彼女の守護神ダキニ天の妖術に彼等は屈することになる
以来ダキニ天の術により鬼武達は紅葉への忠誠を余儀なくされた


一見小娘にしか見えない初美に忠誠を尽くす事は彼らには耐えがたい屈辱であり
女性であるお万に嘲られ続けることも忍び難かった

だが葉月が現われた昨晩、彼女等と別れた直後鬼武達の目の前に不思議な女性が現われた
その少女はダキニ天の呪術から彼らを釈放してくれると
代わりにある事を鬼武達に要求していた

「このあたりの洞窟にミシャグチの御神体があるはずだが…」

鬼武達が松明の篝火を頼りに諏訪湖畔を探索し続けるうちに彼らの内の一人が悲鳴をあげた

「どうした!!!」

悲鳴の主は見えない腕で首を絞められたかのように蒼褪めた表情を浮かべると泡を吹き白目を剥いて地に突っ伏し、
ピクリとも動かなくなった

「・・・・・・」

その場にいる者達は何が起こったか理解できず恐怖で表情が凍り付いていた
しかし、突然死んだかと思われた盗賊が傀儡のようにぎこちなく立ち上がった

「ミシャグチの封印を解こうとする者は誰だ…」

それは生前の盗賊の声を知る者にとって聞き覚えの無い他人の声だった
地の底から響くような声は一介の盗賊には在り得ない圧迫感を与えた

「お前は誰だ!!!」

「我か…我はこの地を守護する神。建御名方神…」

「たっ…タケミナカタ様!!!」

それは落ちぶれたとはいえ元は武人であった鬼武にとって八幡大菩薩と並ぶ武神の名前であった
武人達の間で最も崇拝を集めている神の一人が建御名方神である

「恐れも知らず神域に入った罰当たりどもめ…神罰を受けて死ぬが良い。」

空間が振動したような感覚の後、突然諏訪湖の水面が盛り上がると竜を模った
鬼武達が慌てふためき逃げ惑う中、竜は白い霧を吹きつけた
如何なる殺傷能力があるのか?霧を浴びた盗賊達は次々と倒れていった



用語説明

*壺折の唐織に緋大口・・・唐風の小袖の着物。壷折とは腰のところで絡げて裾を短く着る着方。大口の上に壷折は高貴な女性の姿になる

**源満仲・・・清和源氏の祖・源経基の嫡男で清和天皇の曾孫。大江山の酒天童子を退治したことでも知られる源頼光の父としても知られている。
『太平記』によると満仲が戸隠の鬼女を退治したという記事がある
もしかしたら史実では紅葉のモデルになった人物を追討したのは平維茂ではなく源満仲だったのかもしれない

***建御名方神(たけみなかた)・・・『古事記』の国譲りの話で登場する国津神。素戔鳴尊の子孫で大国主の子供とされている。
出雲の地で天津神の侵攻に抵抗し建御雷之男神(たけみかずち)と力比べを行うが敗れて諏訪の地まで逃げ、以降諏訪を出ない事を誓い許される

この地で建御名方神はミシャグチ神の他、手長・足長といった土着の神を征服し、武神として祭られる事になる

建御名方神を祭神とする諏訪大社を本祀とする諏訪神社は全国に一万社あると言われ、これは鎌倉時代以降、軍神として、あるいは農耕神として信仰されたことによる
後世の話だが諏訪氏が北条氏と強い結びつきを持った影響と思われる

諏訪の御柱祭で知られる御柱はミシャグチ神の旧地から運び出されて行われる

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