作:葉月の神官さん

伍之巻―霊剣―


葉月は武家屋敷庭園の池に注ぐ、ゆったりとした遣水の流れを見つめていた
微かなせせらぎの音が心地よく緑為す黒髪の美少女の耳に響く
気分を変えようと外へ出たくなった彼女は庭園の一番美しいと感じた場所に足を運んだ
だが葉月の胃を締め付けるような圧迫感は収まらない
その理由を葉月は考えたくなかった

(どうして…どうしてなんだろう… )

葉月の脳裏には初美とお万が口付けをした情景がくっきりと焼きついていた
何度振り払おうとしても振り払うことが出来ない
初美が自分以外の誰かを好きになることなど想像したくなかった
あの時お万がどのような表情だったのか確認することが出来なかったが、
初美のまるで恋人に対するような瞳をやや潤ませた上気した表情を忘れたかった

(あんな表情…僕には一度も見せたこと無いのに)

葉月は自然に込み上げてくる熱いものをこらえきれなくなっていた
瞳からあふれ出す涙は月光を反射し蝋のように青白い彼女の頬から形の良い顎を伝い
珠のように輝く雫は池に吸い込まれていった
蒼褪めた水面に移る月が小さな波紋を受け朧気に揺蕩う
ぽつんぽつんとした波紋はやがて勢いを増し幾つも重なり合い妖しい光映す月光はゆらゆらと揺らめいた

(僕は…嫉妬している)

それは彼女にとって絶対に認めたくない事実だった
初美が自分と同じ世界の住人だった頃、初美が見知らぬ男とデートするのが耐えがたかった
葉月は初美が気持ちを知った上で自分の心を弄んでいたのではないかとすら思うことがある
しかし葉月には初美が自分以外の人を心から愛することなど無いという奇妙な確信を持っていた

理由など無い

いつかは愛情全てを初美に注ぐ葉月の事を愛してくれると信じていた

だがそれは自分の一方的な思い込みだったのではないのか?

葉月は自身の確信が揺ぎつつあることを否定できなかった
お万は異能の力を持ち強く美しいだけではなく、
紅葉と呼ばれる初美の為にならば命を捨てる覚悟が本気であることは葉月にも充分に伝わってきた

勿論初美を思う気持ちは誰にも負けないつもりはある
ただ誰の目にも自分と比較してお万のほうが魅力的に映るかもしれない
同世代からは憧憬の眼差しを一身に集める葉月も大人の女性であるお万と比較されたら敵わないのかもしれない

かつて夜行列車の世界で皇蓉子という魅力的な女性に出合ったことがある
蓉子と過ごした時間はごく短かったが彼女が知りうる中で最も素敵な女性の一人だったのかもしれない
今思い出すとそれ程彼女に対して惹かれるものがあった

その蓉子にお万の容姿は瓜二つとしか言いようがないほど良く似ていた
自分も初美という絶大の存在が無ければお万を愛したかもしれない
例え同姓であってもそれ程の魅力があるだろう


全てを否定したい

考えたくない


だが努めてそう思えば思うほど葉月自身とお万を比較してしまい彼女を羨み嫉妬する自分が居た
葉月は唇を噛締め、拳を強く握り締め小刻みに肩を震わしていた。
彼女を知るものにとっては似つかわしくない仕草と思われるかもしれないが
不安定に揺れる心は歳相応の思春期の少女らしくもある

葉月は後ろから接近する存在に気付かない程悲痛な思いに囚われていた

「葉月殿…いかがなされましたか? このような夜中に…」

声の主はお万であった
唐突に声を掛けられた葉月は冷や水を浴びせられたような気分になった

「皆既に床に就いております
明日の出立は早いですから… 葉月殿も早くお眠りになられたほうがよろしいのでは? 」

声を掛けるお万に対して葉月は反感を覚えた
つい先程までのお万と初美が求め合うような口付けの情景が頭をよぎる
お万と顔を合わせようともせず俯いたまま葉月はその場から立ち去ろうとした

(君の…君達のせいだよ…)

お万と肩がすれ違う瞬間葉月は自分でも口に出したか分からないほど微かな声で囁いた
当然お万の耳にはその声は届かなかったが、葉月の様子を不審に思ったお万は心配そうに尋ねた

「いかがなされたのですか? 泣いて…おられたのですか… 」

葉月はお万の問いに答えようとしなかった
長い髪を靡かせながら遠ざかっていく葉月の背中をお万は心配そうに見つめていた






諏訪湖の湖畔は前方を見渡すことが出来ない程の濃霧に包まれていた。
神秘的な狭霧は生物にとって致死に至る毒性を持ったものであるのか、
鬼武達盗賊は殆どの者達は地に臥していた
銀色の鱗を輝かせ水面から八尋に及ぶ長さの首を出した水竜は
諏訪大神建御名方神を名乗るだけあり人智を超えた凄まじい力を見せ付けていた

「たわいも無き者供よ。身の程も知らず神域を侵したその罪を地獄で贖うがいい」

水竜はわずかな生存者達に止めを刺すつもりなのか
幾つもの黒光りする鋭利な小刀のような牙が並んだ口を開き再び白い濃霧を噴出した
先程よりも深い霧に包まれその場にいた者達は一歩手前の視界すらままならない状態に陥った

「く…そ…」

鬼武はしぶとく生き残りこの場から逃げようとしたが方向感覚もままならない
何とか立っていた盗賊達は一人また一人と倒れて行った
ついに首領である鬼武も力尽きその場に崩れ落ちた

盗賊達を全て滅ぼしたと水竜は確信していたのか
その姿を湖の中に消そうとしていた

だが諏訪湖に微かなさざ波が起きたと思われた次の瞬間に突然台風の如き強風が沸き起こった
神の力により引き起こされた濃霧は見る間に吹き飛ばされ
先ほどまでは一歩手前を見ることも出来なかった事が信じられない程視界が開けた

「何者だ? 」

水竜はこの強風が自然現象によるものではないことを見抜いた

濃霧が晴れた湖のほとりにただ一人少女が立っている
少女は烏帽子を被り菊とじと胸紐がある白に近い薄い桃色の*水干を身に着けていた
もっとも特徴的なのは金髪の縮れ毛に挑発的に輝く紅い瞳
瞳の色を除けば少女は呉葉と呼ばれるリリスの生き写しだった
少女は例え目の前の水竜が本物の神であったとしても全く恐れる気配が無くむしろ嘲る様な表情を浮かべていた
この国の住人には無い独特の姿をした少女を見て思い当たる節があったのか水竜は地を振動させるような声で言った


「その姿…そうか…貴様が世に害を為す鬼女大姥か! 諏訪の神域を荒らして何を欲するか!
貴様の悪行はこの諏訪にまで鳴り響いている… そちらから現れてくれたのは幸いというもの
我が打ち滅ぼしてくれる 」

気が小さいものであれば聞くだけで倒れてしまうかのような声は一見か弱そうな少女には通用しなかった

「鬼女大姥ねー…私実はこの名前チョーダサくて気に入らないんだ〜 
雰囲気出す為にこの時代に合わせているんだけどぉ
もっとかっこいい名前にしとけばよかったかなぁ〜はぁ〜
本当はリリムちゃんって言うとーっても可愛い名前があるの。よろしくね〜」

緊張感のかけらも無くリリムと名乗る少女は手を振った
その様子は何も考えず警戒心のかけらも感じさせられない
瞳の色以外仕草は全くリリスと同じような変わった感じがするただの無邪気な少女に見える
だが水竜はリリムの見かけの愚かさとは裏腹にどこに神の力を打ち破る程の能力があるのかを見極めようとしていた

「異国の神か…かつての天津神と同様に侵略し、この国を支配するつもりなのか? 」

水竜の台詞は建御名方神が神代の時代に天津神に屈服させられた苦い経験の事を指している
リリムは何の事か分からないといったキョトンとした表情で数回瞬きをしてから否定するように笑い出した

「あはは…バカねーあたしがこんな小さな国欲しがると本気で思っているわけ?
そんなわけないじゃーん。リリムちゃんチョー信じられなーい。きゃはは…貧乏くさーい!!! 」

腹を抱え笑うリリムの様子に激怒したのか水竜は再び白い霧を発した
滝のように降り注がれた狭霧は再び諏訪湖畔を覆いつくした
しかし盗賊達を倒した殺人の霧はまたしても一陣の強風が吹き消し飛ばされた

リリムは何事も無かったかのようにまだ笑い続けていた
しばらくすると少し落ち着いたのかリリムは笑い無きした瞳を拭いながら先ほどより静かな口調で言った

「あんたさぁ…こんな程度で本当に私に勝てるつもりなの?
お仲間が隠れているのは知っているから遠慮しないで助太刀頼めばいいのに? 」

リリムは心なしかわずかに鋭い目つきをしている
背後の方に目を見やると一丈(約三b)ほどの背丈がある武人が姿を現しリリムを睨み付けている
平安時代としては奇妙な姿である左右に別けた髪を耳元で束ねてある**髻頭で
黒塗りの挂甲を身に着けた古代の姿をした武人はリリムから目を反らさずに叫んだ


「我は葦原中国に降臨せし武甕槌神の命により星神香香背男を追討せし
***倭文神 (シトリガミ)の武葉槌命(タケハヅチノミコト)なり
如何なる理由でこの国を侵略するつもりか知らぬが異国の者が神国を侵すことはまかりならん
早々に立ち去れ! 」


リリムは欠伸をこらえ侮蔑しきった表情で武葉槌命と自称する武人を見つめた

「ふーん…貴方が建御名方神と並ぶ最古の武神の一人武葉槌命神なの?
星神を討つ程強そうには見えないけど少しはあたしを楽しませてくれるのかしら? 」

リリムが悪戯っぽく微笑んだ。
見るからに屈強そうな武人も彼女には大した猛者には映らなかったらしい
武神と相対することになっても彼女は全く恐れる様子を見せなかった

「毒気を破ったぐらいでいい気になるな!!! この剣を見るが良い! 」

武葉槌命が背に手を掛け九尺(270a)程もある長大な黒い漆塗りの鞘の大刀を取り出した
拵えには高肉彫りがあり、鯉口金具、山形の足金具や宝相華の唐草模様で飾り付けられ鐔の部分は厚手の木爪鐔をしている。
リリムは驚いたようにつぶらな瞳が零れ落ちるのではないかと思われるほど大きく目を見開いた

「へぇ〜大きい。格好良いわ〜。 これってさぁ〜なんか曰くありげな剣なの? 」

武葉槌命が直刀をゆっくりと引き抜き鞘を捨てた
周りから見るものがいればその重さだけでまるで地響きが起きたかのような錯覚に陥るほど重量を感じさせた
七尺五寸(225a)にも及ぶ刃長の切刃造の大刀はかなり細身だが、
これ程の長剣は世界でも類を見ないのではないかと思わせた

「これは霊剣布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)… 建御雷之男神そして経津主神の荒魂和魂を込めし大刀である
貴様のような下賤な妖魔の血で神代より伝わる神剣を汚すのも恐れ多い
直ぐに立ち去れ。さすれば今回だけは見逃してやる」

見逃すという台詞が本心の物であるか分からないが、
武葉槌命は人にはとても持つことが出来ると思えない長大な大刀を肩に下げリリムの出方を伺っているようだ

「やだ〜よ〜あかんべ〜ぇぇぇぇ〜超超ちょぉぉぉーむかつくイブとリリスをぶっ殺すにはねぇ〜
縄文神様とやらにあってチョー小ざかしい結界を解かさせないと駄目みたいなの〜
別にぃ〜リリムちゃんチョー凄いから強引に攻撃しても結界引っぺがすぐらい出来るんだけどぉ〜
それだとリリムちゃんチョー疲れちゃうしぃ〜 チョーっとだけメンドイ味方もいるみたいだからぁ〜
こっちは寝っ転がってるチョー役立たずばっかしかいないし… 
あーんチョー可愛そうなリリムちゃん
結局リリムちゃんが動かないとダメになっちゃったじゃないチョーアホらし
ふーっ黒幕って言うのは表に出ちゃいけないのにチョー冗談じゃないわよ
もぉーリリムちゃんチョーぷんぷん!!! 」

顔を膨らませ地団太踏むリリムの様子はまるで子供のようだった
本人が意識しているかどうか分からないがその仕草はチョーむかついている筈のリリスに瓜二つだった

正常な神経を持つものであれば聞く者全てを不快にさせるリリムの喋り方に耐え切れなくなったのか
諏訪湖から様子を伺っていた水竜は痺れを切らしたように咆哮した

「ちょうちょう言われても何の事か分かぬ… 武葉槌命神よ
このような奇妙な者に関わり合うだけ無駄というもの
下手に説得して情けを掛けるより我が力を使いさっさと滅してしまうのがいいだろう」

「そのとおりだな。建御名方神よ…ならば霊剣布都御魂剣に宿りたまえ」

武葉槌命も同意すると人一人では決して持ち上げることが出来ないと思われる九尺に及ぶ長剣を片手で軽々と持ち上げると霊剣は青白く光を発した
呼応したかのように水竜が白い霧を吐いた
それはリリムに向けての攻撃ではなく自らの姿を隠す為に放たれたようだ

霧は武葉槌命がかかげる青光する霊剣に吸い込まれ濃霧がじょじょに晴れる視界が開ける
あれ程巨大な水竜ははじめから存在しなかったかのように消え去り
嘘のように諏訪湖の水面は静まりかえっていた


「あらら… 水竜さん消えちゃった? 不思議ねぇ〜」

リリムは目を丸くして驚いた

「ねぇねぇちょっとぉ〜 さっきの大きい水竜さんは何処にいったのかしら?
リリムちゃんの使い魔ぐらいにはしてあげようかと思っていたんだけどぉー」

「ふはははっ… 建御名方神ならばこの剣に宿っている。布都御魂剣はただの大刀とは違うのだ」

武葉槌命の持つ直刀には薄い霧が光の蒸気のように帯びていた
大刀を大上段に構えるとリリムに歩を詰めた

「さて鬼女大姥… 神域を侵したばかりか#二柱の武神を愚弄し激怒させた罪は重い
その身を万回滅ぼしても拭い去ることが出来ないが我は慈悲深い
神に歯向かった自分の愚かさも気付かぬうちに一撃でこの世から塵一つ残さず消し去ってくれるわ!!!」

次の瞬間人が持つことが不可能な剣は重力と腕力で加速された人智を超えた速さで振り下ろされた

霊剣は呆気にとられるリリムを何の抵抗もする暇が無かったかのように一瞬で真二つにした
大刀はリリムを頭から股まで切り裂いても勢いが止まらず刹那の瞬間で地面に到達した
直刀を叩きつけられた地面は蜘蛛の巣のようなひび割れが起きる
剣先から眩いばかりの青白い燐光を発すると小さな水竜をかたどり地を引き裂いた

砂利が舞い上がるほど凄まじい土埃が巻き起こる
土埃が収まり辺りを見渡せるようになると巨大な地割れが起き捲れあがった地面から断層が剥き出しになっていた。

まさしく天変地異に匹敵する神の力と呼ぶのにふさわしい
これ程巨大な威力を持ってすれば、どんなに巨大な霊力を持つ鬼女大姥であっても一撃で塵と化したはずだ
だが武葉槌命は違和感を覚えていた

「偽者か… 面妖な術を使うものだ」

「あらら… チョー凄い威力ねぇー リリムちゃんチョットだけ驚いちゃった♪ 」

真二つにされ水竜のような光で消し飛ばされた物かとばかり思われていたリリムはいつの間にか武葉槌命の背後に立っていた。
しかし不思議なことに全く同じ金髪の縮れ毛で全く同じ紅い瞳の色で全く同じ水干の服装をしたリリムが八人も立っていたのだ


「かつて常陸国には平将門という武将がいたが… 奴も貴様のような##分身の術を使っていたな 」

武葉槌命は吐き捨てるように言った

「さーてと。どれが本物のリリムちゃんでしょう? 
ふふーん…皆チョー可愛いから全員欲しいでしょ〜」

「ふざけたことを…所詮人でも使える程度の術など我には通用せん!!! 水神竜よ来たれ!!!」

武葉槌命は塚を逆手に持つと布都御魂剣を地に突き刺した
すると瞬く間に巨大な津波が沸き起こりあっという間にリリム全員と武葉槌命を飲み込んだ

「むぐ… もぐ? 」

リリムは突然水中に投げ出されたような感覚に陥った
水中をもがき必死に泳ぐとなんとか水面から顔を出した

「プハァー… もーリリムちゃん折角お気に入りの衣装が濡れちゃったじゃな〜い
チョー信じられなーい… どうしてくれるのよ! …ってあれぇ? 変ね…
やっぱリリスの馬鹿が得意な術だから使い物にならないわねぇ 」

リリムの周りから水が引いていくと八人いたはずの彼女は一人だけだった
彼女は口を軽くあけながら頑是無い子供のようにきょときょとと周りを見渡した
水流は彼女の周りを囲うようにして流れ不自然に盛り上がるとドーム上に天を覆った
不思議な水球の中に武葉槌命とリリムのただ二人が存在した
武葉槌命は大刀を地面からゆっくりと引き抜くと勝利を確信したような口調で言った

「たわいもない術だ。本体がどれかわからぬのであればすべてを攻撃すれば良いまでの事
そしてこれが水神竜の結界だ。この中では蟻の這い出る隙間もなく逃げることは不可能
貴様が先程の分身の術を使って逃れようとしてもこの中では効力が発揮されない
覚悟しろ鬼女大姥… 貴様の命運も今ここで尽きる… 消えうせろ!!!」

武葉槌命は再び大上段に大刀を振り上げた
唸りを上げ大地すら断つ神剣が小柄な少女に振り下ろされようとした
逃れようにもこの水のドームの中から逃れる場所もなく分身の術も使えない
リリムにとって万策が尽きたかに思えた

彼女は腰に差した剣を抜き受け止めようとした

「愚か者め!!! この霊剣布都御魂剣を受けられると思うのか? 無駄だ!!! 」

刃と刃が衝突して凄まじい金属音が鳴り響く
その音は明らかに片方の剣が砕けるような音を立てていた




「ば… 莫迦な… 」

大地すら引き裂く巨大な直刀は刀身の半ば辺りで真二つになっていた
時間が止まったような静寂の後、武葉槌命の体はゆっくりと崩れ落ちた
まるで桶を転がした後のように地を染める朱は見る見るうちに広がっていく
直刀の折れた剣先は地面に突き刺さっている
その剣は半分ほどの長さに折れてしまっても悠に普通の大刀の長さを超えていた

「それも… 霊剣布都御魂剣か… 何故貴様が持っているのだ? 」

武葉槌命は何とか立ち上がろうともがきながら唸る様に言った
リリムの持つ剣は全く姿形が異なるが武葉槌命は何故か彼が持つ大剣と同じ布都御魂剣と呼んだ

「これはねぇ〜 回復とかに便利そうだからチョット借りちゃったの〜テヘっ」

武葉槌命の長剣を軽々と切断すると同時に易々と彼を斬り致命傷を追わせたリリムは
何事も無かったかのように屈託ない表情で笑顔を見せていた

「嘘をつくな… その剣は神より与えられし物部の一族が守り続ける霊剣…
貴様如きに貸すわけがない… 彼らを殺して奪ってきたのか…」

立つことも出来ないのか、地を這いながら武葉槌命は尚もリリムに迫った

「ピンポーン♪ 正解よ♪ 死に損ないにしては頭冴えてるじゃな〜い
あの人達抵抗なんかしてきたんだけどぉ〜 折角の霊剣の使い方も知らないからぁ
宝の持ち腐れってやつだったわ そんな連中あたしの敵じゃないからぁ〜
可愛いリリムちゃんがかるーく皆殺しにしちゃった♪

そうそう、貴方のその馬鹿でっかい剣は霊剣布都御魂剣を模して人間が創った物
確かにただの剣じゃないしぃ人間からすればすっごーく霊力もあるんだろうけどぉ
でも残念でした♪ 本物の霊剣布都御魂剣はこっちなのよ」

リリムはひらひらと手に持つ直刀を振っていた
長さ二尺八寸(84a)幅一寸一分(3.3a)程の長さの剣だ
平造りの刃は内側に反り、柄の部分は月のような形をしている共金造りの素環頭が片打ち出しに装着されている
大きさの違いの為見た目はどう見ても男の持つ剣の方が強力そうに見えるが、
しかし神が降した剣には見ため以上の力を秘めているのか、
大剣を受け止め尚且つ圧し折った刀身に刃毀れ一つ見当たらない
神代から伝わる霊剣も現在の持ち主であるリリムの力の影響なのか
刀身は赤みがかった霞を帯び、まるで魔剣に変貌したかのように妖しげに輝いていた


「偽物はどうあがいても本物には勝てっこないのよ♪
でっかくすれば神々の剣にふさわしいとでも思ったのかしらねぇ?」

「水竜の毒気が通用しなかったのは霊剣布都御魂剣のせいだったのか…
かつて神武天皇が熊野の地に降臨した時に♭熊野の神に毒気を当てられ
皇軍全てが倒れてしまった際に建御雷之男神が降した剣が霊力を発揮し皇軍が復活したと言う…
その時の剣が貴様の持つ霊剣布都御魂剣… 神より降された平国の剣を貴様に奪われるとは… 」

武葉槌命はすさまじい形相でリリムを睨み付けた
リリムはその様子を嘲笑うかのように見下ろしている

「それに貴方本当は武葉槌命神なんかじゃないでしょ? 
水竜建御名方神もその偽布都御魂剣の霊力を借りて貴方が創り出した幻影
霊薬による筋肉増強と強力な自己暗示の術により限界を超えた力でこのお化けみたいな長剣を持ち上げていたようね
偽布都御魂剣は造られた時から、いざ必要になった時に儀杖としてでは無く兵杖として人でも使いこなすための秘術が伝えられた…
人の身でありながら比類なき武と神を偽れる程の呪術を司る一族…
貴方は古代の名族であり縄文神を守り続ける物部一族の神官。つまりただの人間でしょ? 」

リリムの言葉は真実を看破したものであるのか、武葉槌命を名乗る男は無念そうに呟いた

「そこまで…見抜くとは… 我は第21代物部守屋… 
敏達帝の御世に初代物部守屋は仏教を推進する聖徳太子と蘇我馬子に滅ぼされ
武を司る物部一族は歴史の表舞台から姿を消した… だが我等が滅び去ることはなかった
有史以来縄文神を崇拝し続ける我等の力を完全に抑えることが出来なかったのだ
天皇家がこの国を治めることが出来たのも我等が祖♭♭饒速日 (ニギハヤヒ)から縄文神の力を借りたからだ
以来支配者であるはずの天皇家も我々の意向には従わざるを得なくなったのだ
聖徳太子が神仏習合などという中途半端な妥協の産物を産み出したのもその為だ
その後憎き聖徳太子の子山背大兄王と蘇我氏を相対立させ山背大兄王を滅ぼし
勝者のはずである蘇我一族を中巨鎌足に殺害させたのも裏で物部一族が暗躍していたからなのだ
我等は影の存在。だがこの日の本の国を実際に支配しているのは帝でも藤原氏でも無い。我等物部である
貴様ら異国の余所者に再び蹂躙されてなるものか!」

正体を暴かれた武葉槌命…真の名は第21代物部守屋である男は折れた大刀を杖にして立ち上がろうとしている
死にかけた男のどこにそんな力があるのか
この国を守る為の憂国の士としての正義感か
あるいは古来より影から日本を支配し続けた飽くなき権力欲からなのか
何れにせよ凄まじい精神力で男は立ち上がった


「ふーん… 物部の子孫を称する守矢氏はさしずめ表の顔ってところかしら?
滅び去ったと思われている古代の名族物部氏は未だにこの国の実行支配を続けていると言いたいのね
諏訪大社も縄文神であるミシャグチ神の影響力は無視できないみたいだしね」

リリムは重傷を負いながらまだ戦おうとする守屋を呆れたように見つめながら言った

「そうだ! 驚いたか! 我等はこの国の神に等しいのだ!!!我等は現人神だ!
縄文神が完全に復活した暁にはその力を利用して我等がこの国を完全に支配してくれる!ははははははっ!… 」

男は気が狂ったように笑い出した。
なんらかの偏った能力が高い宗教指導者のような者達は自己陶酔して誇大妄想に取り付かれ錯覚する事が多い
リリムはその滑稽な様子をうんざりしたような表情で見つめていた
伝説ではアダムとリリスの最初の子供であり最古の人類であり悪魔とも言われているリリムの事である
有史以来そんな人間達を繰り返し見てきたのか? 呆れたように言った

「バッカじゃない。こんな小さな国支配した所で満足してそれを必死になって守ろうとするなんて人間らしい考えね
私はねぇ… あんた達みたいな莫迦な連中全てを消し去って新しい世界を創り直したいの」

それだけ喋るとリリムは剣を白金の鞘に収め歩き始める
物部守屋は剣を地に突いたままの姿勢で動かない

二人の間合いが詰まるがお互い手を出そうとしない
リリムが物部守屋の横を何事も無かったかのように通り過ぎると不思議な事に少女は諏訪湖の上を歩き出した

一方自ら神を偽った男は微動だにしない
まるで笑いの途中で時が止まったかのように口は開かれたままである
自ら本物の神となる幻影を見つめていた男は願いをかなえる前にその瞳の瞳孔を開いていた



用語説明


*水干・・・・・・狩衣の一種。公家の私服や元服前の少年の晴れ着であるが白拍子の男装姿でも知られている。
因みに白拍子が登場するのはこの物語より後世の鳥羽天皇の頃千歳・和歌の前の二人が舞いだしたものと言われる。『源平盛衰記』によると水干の代わりに直垂とあり、後の世に静御前のような水干に袴ばかりになったという
ようするにこの物語の時代に女性の水干姿は有り得ないのですが、なんとなく着せてみたかっただけなので細かいことは気にしないでください(激しくマテ

**髻・・・・・・古代人の17,8歳以上の男子の髪形。
挂甲は古墳時代から平安時代にかけての防具。
九世紀頃の挂甲は東北で発見されているが平安時代中期には儀杖化していたものと思われる

***倭文神 (シトリガミ)・・・・・・織物の神。何故織物の神が武神になったのかは不明

#二柱・・・・・・神の数え方は「柱」

##分身の術・・・・・・『俵藤太物語』より。平将門が平貞盛や藤原秀郷と戦闘を行った際に鉄身の将門と全く変わらぬ六体の影武者(分身)が現れ官軍を蹴散らした。
『俵藤太物語』は後世の作だが元になるような伝説はこの時代に既に存在したかもしれない

♭熊野の神・・・・・・『古事記』による。『日本書紀』では熊の神ではなく、丹敷戸畔と呼ばれる皇軍に抵抗した女族の今際の霊力により神武軍は倒されてしまうが、
建御雷之男神が高倉下という豪族に降した布都御魂剣の力により復活するのは同じ

♭♭饒速日 (ニギハヤヒ)・・・・・・物部氏の祖神。神武天皇に対抗した長臑彦の義理の兄。
皇軍は長臑彦により苦戦を強いられるが饒速日が寝返り長臑彦を殺してしまう。

次に進む

戻る

フレームつきページ
By よっくん・K