作:葉月の神官さん
弐之巻―余五将軍― |
「これは…」 葉月は戸隠村の余りもの惨状に目を見開いた。 辺りはまるで台風と地震が同時に訪れたような光景が広がっていた。 散在する藁葺き屋根の農家は至る所で焼き払われ既に倒壊した家屋は今も燻り続けている、 広大な田畑の殆どはまるで竜の爪に出鱈目に抉られたかのように荒れ果てていた。 お万は一軒の農家の炭化した花垣を見つめながら寂しそうに呟いた。 「紅葉様はどの家にもめぐらされた*卯の花垣が一斉に咲く様がお好きでしたのに。 あのお方は卯の花が咲くと訪ねる家が分からなくなるとご冗談を申されていましたが… なんという酷い事を。」 お万は悲しげな様子だったが悲観にくれている暇は無いことを思い出し、 まなじりを結して言った。 「先程も私が確認しましたが紅葉様がおられた武家屋敷に参りましょう。 無駄かもしれませんが何か手掛かりがあるかもしれません」 「そうだね」 葉月は昨日すぐに初美の下へ向かわなかった事を後悔していた。 このような事が予測できなかったとはいえ自分を引き止めたお万やリリスの事が恨めしくも思えたが、 お万の沈痛な面持ちを見ると彼女を怒る気分にはなれなかった それに今は過ぎた事を悔やんでも仕方が無い。 葉月とリリスはお万に伴われこの世界で紅葉と呼ばれる初美の匿われた屋敷へ向かった。 「初美…はつみーっ!!!」 初美を呼ぶ声がむなしく響く。既に破壊しつくされた武家屋敷からは何の返答も無かった。 練門上に設置されていたはずの物見やぐらは吹き飛ばされ無造作に地面に転がっていた。 網代垣は大半が倒れ、すでに垣根としての用は成さなくなっていた。 護衛の武士が待機していたであろう遠侍は部分的に焼け残っていたが落石にあったかのように潰され 初美が居たはずの母屋は完全に灰燼と化し、当然ながら人の気配を一切感じさせなかった。 葉月は初美の身に最悪の事態が降り注いでしまったと思い、 呆然とした表情でその場に座り込んでしまった。 「初美…」 普段は気丈な葉月もこの時ばかりは瞳を潤ませていた。 「葉月殿…大丈夫です。紅葉様の気はまだ途絶えていません。」 お万は葉月の肩に手を掛け、力づけるように言った。 「本当?そんな事が君にわかるの?」 「私は道術の修行をしていましたから神行法以外にも気を読む程度の術の心得はあります。 場所はハッキリしませんがあのお方の清らかな気の流れを感じる事は出来ます。」 「場所までは分からないか…リリスは何か感じるかい?」 「リリスちゃんわかんな〜い♪」 「…役立たず。」 葉月は相変わらず使えないリリスの方に目を向けるとその背後の焼け焦げた 建物の影から彼女に向けて構えられる矢尻が光る様が見えた。 次の瞬間には矢は危機を察することが無いリリスの背に向けて放たれた。 「危ないリリス!」 葉月は何が起きたのか分からないリリスの手を引き、矢の軌道から彼女を逸らすと同時に 目にも止まらぬ速さで抜刀し飛来した征矢を切り払った。 「何者だ!」 葉月はリリスを背に庇い相手に向けて刀を構える。 弓を構える男は焦げ茶色の麻の袖なし小袖に四幅袴を着ていた。 その男は葉月の言葉に答えず、二本目の矢を引き絞っていた。 射手は三十メートルほど離れているので一足跳びで接近できる距離ではない。 この場合説明するまでも無く飛び道具を持つ者の方が有利だ。 葉月が相手に向かって行き、万が一矢を落とし損ねた場合リリスが危機に晒される。 葉月は引く事も攻める事も出来ずに迷っていた。 射手は口元に笑みを浮かべると二本目の矢を放った。 矢は葉月の体の数メートル先にまで迫る。 だが葉月に向けられた矢は横から飛んできた他の矢と衝突し**箆の中央辺りから真っ二つに折れた。 信じられない事だが他者が放った矢が空中で葉月に向けられた矢を射落としたのだ。 相手は唖然とした顔で自分の矢を撃墜した人物の方に目を向けた。 神業と言える弓技を披露したのはお万だった。 呆気に取られる相手に弓を構える暇すら与えず彼女は矢継ぎ早に二本目の矢を放った。 隼の如き速さで矢は狙いを誤らずに男の肩を貫通した。 「グッ!!!」 男がたまらず膝を着く。男が顔を上げると葉月の刀が目前に迫っていた。 「初美は…紅葉は何処へ行った?」 刀を突きつけた葉月は冷徹な眼光で男を見下ろした。 男は肩に走る苦痛に顔を歪ませながら不適に笑った。 「フン…鬼女の手先が!あのお方の行方を誰が教えると思うか!」 「鬼女?紅葉の事か?」 「あのお方が鬼女だと?ふざけたことを言うな! そこにいる貴様の連れの鬼女が戸隠を襲撃したのではないか?」 男はリリスを指さした。 「へっ?私が鬼女?」 リリスは全く身に覚えが無く首をかしげた。 「しらばくれるな!俺は何があっても紅葉様をお守りする! 俺は平維茂様の命を受けてお前を討ち取りに来た金剛太郎!俺と勝負しろ!鬼女大姥!」 「お待ちください。太郎殿。このお方は呉葉様。紅葉様の姉上で大姥なる鬼女とは別のお方です。」 「嘘をつくな!俺はこの目ではっきりとその姿を見た。奇妙な金色の髪に***イッポンタタラ のような一つ目の帽子をかぶった緋色の瞳の女が笑いながら術で村を焼き尽くす様を …んっ?目の色が違う?」 金剛太郎はまじまじと※碧い瞳のリリスの顔を覗きこんだ。 リリスは不愉快そうに金剛太郎に怒鳴りつけた。 「も〜リリスちゃんがそんな酷いことするわけないじゃない!見て分からないの? それにレディの顔をじっと覗きこむなんて失礼ね!プンプン!」 「りりす?れでぃ?」 金剛太郎は意味が分からず今度は彼の方が首をかしげる番だった。 「一つ目の帽子ってジョウ=ハリーの事じゃないのか?今は初美がしているはずだけど…」 葉月の一言で何かに気づいたのか?リリスは珍しく思案顔になっていた。 「まさか…あいつかしら?」 「思い当たる節でもあるのかい?」 「えっ…いいえ。それよりかさぁ〜イブが何処へ行ったのか場所を探さなきゃね〜。」 「…ああ。」 葉月はリリスが何かを隠し事をしているのを察したが今はそれどころではないので 後で聞きだそうと思っていた。 「太郎殿…貴方達は紅葉様の追討に来られた訳では無いのですか? 私達も紅葉様をお救いするために馳せ参じたのですが。」 お万の問いに太郎はそっぽを向いて答えようとしない。 確かに自分の肩を射抜いた女性に心を開くとは思えなかった。 頑なな様子の彼を見たお万は溜息をつきながら太郎の額に手を置いた。 「何をする…やめろ!」 太郎はお万の手から逃れようとするが何故か体が言う事を聞かない。 彼の眉上に置かれたお万の手は燐光を発し、彼女は瞳を閉じた。 太郎とお万の前髪は風を受けたように舞い上がる。 長い睫毛のかかった重そうな二重瞼が閉じられ、神秘的な光を発するお万の姿は 葉月でさえ目を奪われるほどの美しさだった。 数秒の後お万が瞳を開くと手の光芒は消え去った。 彼女は葉月の方に振り返り言った。 「不躾ながら太郎殿の心を覗かせていただきました …紅葉様は維茂殿に荒倉山へ連れられているようです。すぐに参りましょう。」 お万は葉月の手を差し伸べた。 人の心まで読み取る能力を持つこの女性は、次は神工法で瞬間移動までするつもりだった。 葉月はこの女性の事を頼もしく感じると同時に恐ろしくも思い始めていた。 金剛太郎の傷を手早く治療してやると、お万は後で迎えに行くと言い残し 神工法により葉月達は戸隠と水無瀬の境に位置する荒倉山に着いた。 「お万は凄いね。どうしてこんな事が出来るの?」 葉月が初見以外の人を称える事は珍しい。 無論彼女はお万の事を褒めるつもりで言った訳ではない。 本心では何故このような力を持つのか探りを入れるためであった。 お万は葉月の心を見透かしたようにただ笑って答えようとしなかった。 葉月はガルガンチュアやリツコのように強いソーマを持つ人間を知らない訳ではない だが、彼らの力はイブから力を授かった後天的なものであり、 そういう意味では葉月も同じである。 しかし、お万からはガルガンチュア等とは違う何か形容し難い力を感じる。 彼女は恐らく紅葉を名乗る初美から力を得たのではあるまい。 何故ならイブの力を得られるのは彼女がその世界から消滅する時に 何らかの弾みでソーマを浴びる事が出来た者だけだからだ。 だがお万の言うとおりならばこの世界にまだ初美は存在しているはずだ。 だから彼女の力は先天的な物であることは察しがついた。 そして大抵の場合、力があるものは更なる力を欲するものだ かつてリリスが創り出した妖魔セイレンがミルカのソーマに目をつけたように お万が初美の力を自分の物にしようとしているのではないかと葉月は猜疑心を抱いたが、 葉月は二回もお万に助けられた事を思い出し、すぐに自分の考えを否定した。 (僕の考えすぎかな) 昨晩初美の下へ行かせてくれなかった事でお万に対して密かに憤りを感じていたのかもしれないが 同時に自分の怒りが如何に理不尽で的外れであるかも分かっていた。 葉月は自らの狭量さに自己嫌悪していた。 「この辺りに平維茂殿が陣地を設営しているはずです。」 標高千メートルを超える山中の深い森の中に軍を駐在させる事は不自然だが お万が金剛太郎の脳裏から読み取った光景と周りの景色は重なっていた。 「誰か来る。」 伴類(雑兵)と思しき烏帽子に狩衣姿で鉾を持った数名の兵隊達が 葉月達に近づいてくる。どうやら近くにある陣地の見張りのようだ 刀に手を掛ける葉月を制してお万は前に進み出た。 「あなた方は鎮守府将軍平維茂殿のお仕えの方々ですね? 私は水無瀬のお万。紅葉様の御身の事で至急お取次ぎ願いたいのですが。」 彼女は丁寧に頭を下げて頼み込んだ。 見張りの伴類達が顔を見合わせてどうするか相談していると痺れをきらせたリリスが怒鳴った。 「も〜!男が何ウダウダしているのよ! こんな美人が三人も一緒に来たのにどうして喜ばないの?」 そういう問題じゃ無いだろ?と葉月が突っ込もうとした時、リリスの顔を見た男達の表情が変わった。 「き…鬼女だ!!!」 「鬼女が到頭ここまでやって来たぞ!!!」 男達はほうぼうの体で逃げ出してしまった。 訳も分からず取り残されてしまった葉月達は唖然としていた。 数瞬の間を置いてリリスは思い出したように怒り始めた。 「失礼ね!こんなに可愛いリリスちゃんの顔を見るなり鬼女だなんて。プンスカ!!!」 「…さっきも金剛太郎とか言う男が同じような事言っていたね? まさかリリス本当に村を襲ったんじゃないの?」 「ヒド〜イ!!!葉月までそんなこと言うの?それに昨日は貴女と一緒に寝ていたでしょ? 私を抱いていたからそんなことしていない事ぐらい分かるでしょ?」 「人聞きが悪い事言うな!変な関係みたいじゃないか!お万…僕達は別に何でもないから。」 葉月の慌てふためく様を見てお万は安心させるように微笑みながら言った。 「大丈夫です。お二人の事は私の胸の内にだけにしまっておきます。」 ダメダコリャ。 お万は完全に僕達が恋人だと思い込んでいるみたいだ。 僕が好きなのは初美なのに。心を読めばわかるのになぁ 葉月はそんな事を考えていた。 緊迫感の無いアホなやり取りをしている内に複数の足音がこちら近づいてくるのが聞こえた。 今まで人気を感じさせなかった山中にまるでどこかから沸いて出てきたように十数人兵が現れた。 脅えた様子で鉾を構え陣形を組む歩兵達の後ろから一騎の騎馬武者がやって来た。 男は※※赤地の直垂に、黄櫨匂威の鎧に鍬形打った甲を着け、征矢三十程指した胡ぐいに 節巻の弓を持ち、白葦毛の馬に黄覆輪の鞍上に乗っていた。 一目で大将と分かる精悍そうな男はリリスの顔を睨みつけるなり怒鳴り声を上げた。 「やあやあ我こそは先の承平の乱において朝敵平将門を討ち取りし平貞盛が15番目の養子 人呼んで“余五将軍”陸奥守平維茂なり!戸隠を焦土と化するだけでは飽き足らず、 ついにここまで来たか…鬼女大姥!!!いざ尋常に#一騎打ちをせん!」 現代人の感覚からすればナンセンスと言うか大袈裟な名乗りをどういう訳かリリスが感動していた。 「きゃ〜〜〜っ!カッコイイ!!!ねえねえ、これって名乗りってやつだよね?私始めてみた。 葉月と一緒に見た時代劇より迫力あるわねぇ〜」 肝が据わっているのか、それとも不感症なのか? リリスは自分が狙われているのが人事のようにはしゃいだ。 お万はそんなリリスの肩を引き後ろに引っ込めた 「維茂殿…私は水無瀬村から参りました紅葉様にお仕えするお万と申します。 維茂殿は何ゆえに紅葉様をこの様な場所までお連れしたのでしょうか? 紅葉様は鬼武が如き逆賊の徒とは違います。どうかあのお方を我々の元にお返しください。」 お万の言う事など最初から聞く耳をもたぬ様子の維茂は嘲る様に言った。 「見え透いた嘘でこの俺をたばかるつもりか? そこの鬼女が戸隠を襲った事は多くの者達が目撃しているしこの私も知っている。 この維茂、手下の美女の色香にたぶらかされる程間抜けではない。覚悟しろ…鬼女大姥!!!」 維茂は部下の兵が恭しく差し出す剣を手に取ると鞘から抜いた。 日本刀のような反りをもち、鋒両刃作の刀身はうっそうと茂る木々の葉から漏れる僅かな光を浴びて 神々しい輝きを見せた。 「桓武天皇の御世に伊勢神宮の使姫より賜いし我一族の宝剣##“小烏丸” 降魔の秘剣の威力をその身を持って味わうが良い!」 維茂は剣の切っ先を向けると葉月も刀を抜いた。 「葉月殿!」 「こんなわからず屋に何言っても無駄だよ!それに初美をさらった奴なら僕の敵だ!」 「面白い。かかって来い。鬼女の手先め!」 お万の制止も聞かずに葉月は維茂に斬り掛かった。維茂も待っていたかのように迎え撃つ 刃がぶつかり合い甲高い金属音を上げると痺れる様な衝撃と共に互いの腕の力が伝わる。 30キロにも及ぶ大鎧で重装備しても平気な顔をしている維茂の腕力は尋常ではなかった。 幾ら葉月でも少女の細腕では後世まで数々の伝説と武勲を残す維茂の腕力には敵わないと悟り 素早く距離を取った。 「なかなかやるな」 維茂も一合で美少女葉月の力量が相当な物である事を読み取った。 彼は表情を引き締めると両足を広げ重心を低くして刀を構えた。 まだ剣術の流派が確立されていない時代だが、 この無骨な構えは後世で言う介者(かいしゃ)剣術に酷似していた。 介者剣術とは甲冑の重さにも負けないための独特の技である。 誰に教わったと言うわけではないが維茂は数々の戦いを経る内に自然と身に着けていた。 一方の葉月は敢えて分類するなら普段着で戦う素肌剣術ということになるが 彼女の剣も人から習った物ではない。 だが本の旅人として幾つ物世界でその腕を振るった葉月は冷静に維茂の弱点を考えていた。 (この人は重い鎧のせいであまり早く動けないみたいだ) 葉月は身軽さを活かし維茂の正面に立ったと思いきや素早く体を横に入れ替えた。 いかに維茂と言えど大鎧を着たままでは葉月の身のこなしに追いつけなかった。 葉月は変則的な動きと速さで維茂を翻弄すると僅かな隙を突き1合2合と斬り付ける。 だが維茂の頑丈な大鎧は葉月の刀を受けてもビクともしない。 刃が通らず驚く様の葉月を見て維茂は笑った。 「無駄だ…この“唐革の鎧”は天から賜いし我一族の宝具。 不動明王の御加護を受けたこの鎧に貴様如きの太刀が通用すると思うか?」 それでも葉月はまだ冷静さを保ち続けていた。まったく守りを欠いた素肌剣術では、 全身を防御した鎧武者の介者剣術には対しては文字通り、太刀打ちできないように思えるが、 いかに甲冑を着けていても兜と鎧、防具の隙間を的確に狙えば倒す事は可能だ。 葉月は維茂の体力を奪うべく間断なく攻めては引き、休む暇を与えず維茂の消耗を待った。 同じ時間戦えば先に体力が尽きるのは重装備である維茂の方である自明の理であった。 お万等も維茂の部下達も二人の熾烈極まる戦いを固唾を呑んで見守っていた。 五十合も斬り結ぶうちに疲労を見せ始めた維茂の首筋を葉月の刀が掠めた。 葉月は油断することなく深追いをせず一旦互いの間合いから外れた。 「やるな…こうなったら俺も本気を出さざるを得まい。」 維茂は首筋に流れる流血に手を当てながら不適に笑った。 「鬼女の手先とはいえ美しき少女。できれば生け捕りにしてくれようと思ったが… 久々に楽しめた礼に面白い物を見せてやる。」 彼が刃を返して平地を向けると両目を閉じた。 「南無八幡大菩薩…我に降魔の秘剣を与えたまえ」 一見隙だらけの様子の維茂だったが葉月は何故か嫌な予感がして攻撃に移る事が出来なかった。 葉月は正眼の構えでどんな技でも迎え撃つつもりだが、 体の方は危機を感じていたのか葉月の意思とは関係なく自然に後退していた。 維茂が上段に刀を構えると目を見開いた。 「秘剣小烏三爪斬!!!」 大上段から振り下ろされた刀の切っ先から妖光が発しはっきりと烏の爪の形を模るのが見えた。 人の頭ほどの大きさの妖光は三方向から葉月に襲い掛かってきた。 だが葉月はこの手の面妖な術を見せられるのは初めてではないので慌てなかった。 彼女は先ず左側面から向かってくる妖光を袈裟懸けに斬ると烏の爪はあっさりと消滅した。 素早く軸足を返し体位を変えると続いて右側面から迫る妖光を返す刀で車切り(逆袈裟懸け)に斬った。 最後に遅れて正面から飛来する妖光を跳躍してかわす。 葉月のスカートが舞い色白の太ももが覗く様をリリスが能天気に喜んでいたがそんな事を気にしている暇はない。 (よし) 着地した葉月は維茂との間合いを一気に詰めようとした。 だが、不思議な技を何とか凌いだと思い込んだ葉月の心に微かな油断が生まれていた。 葉月の背後に飛んでいったはずの妖光が急旋回して彼女の背に迫る様をお万は見ていた。 「葉月殿!後ろです!」 お万の指摘に葉月は背後を振り返る。 妖光はいつの間にか240センチ程の大きさに膨れ上がり、三本足の烏の姿に変わっていた。 烏の爪先の餌食になる間一髪の瞬間、葉月は刹那の速さで刀を振り下ろした。 カァーッ!!! 葉月の刀は見事に烏を一刀両断に叩き切った。 切断された妖光は甲高い鳴き声を上げ、羽をばたつかせながら光の燐粉を撒き散らし、消滅した。 だが葉月に襲い掛かる試練はこれだけではなかった。 「うっ!!!」 葉月の腹部に今まで感じた事の無い重い衝撃と苦痛が襲った。 蒼褪めた表情の彼女が衝撃を受けた場所に目をやると鳩尾に剣の柄がめり込んでいた。 葉月が烏を倒す間に自ら距離を詰めた維茂は彼女の隙をついて攻撃したのだ。 必死の形相で葉月は維茂の顔を睨みつていたが、間も無く崩れるように地に突っ伏した。 「いやーーーっ!葉月!しっかりして!!!」 さすがのリリスもこの時ばかりは落ち着いていられなかった。 数々の世界を葉月とともに旅したが彼女が誰かに打ち負かされる様など始めて見たからだ。 しかも八幡大菩薩や不動明王の加護を受けたとはいえただの人間相手だ。 葉月が気を失っている事を確認すると維茂はリリスの方を向いた。 「秘剣子烏三爪斬を破ったのはこの少女が始めてだ。大した者だな。 だが貴様の部下はご覧の通り様だ。次は貴様の番だ…覚悟しろ。」 「どうして!私何もしていないよ!どうして皆して私をやっつけたがるの?」 リリスは維茂を無視して倒された葉月の方に駆け寄ろうとしたがお万が制した。 彼女は腰に佩いた太刀を抜いた。 「お前も鬼女の手先か?顔色が悪いぞ?呼吸も整っていないような状態で俺と戦うつもりか?」 お万は読心術や神工法の度重なる使用で疲労しきっていた。 維茂は原因まで知る由はないがお万がまともに戦える状態でない事は一目で見抜いていた。 だが、お万は葉月とリリスを救うため、何よりも紅葉の事が気にかかっていたので是非も無かった。 「ここを通していただけぬとあれば止むを得ません…お覚悟を!」 お万と維茂が切結ぶ中、気を失った葉月の意識は別世界の光景を見つめていた。 そこには無明の闇中で繋がれる己によく似た姿の者が存在する。 流れるような美しい黒髪の女性とも男性ともつかぬ人のような者は鎖で繋がれていた 用語説明 *卯の花垣・・・ウヅキの花。中世の農村で垣根によく使われた。 垣根の卯の花は四月の家の神祭りのシンボルとされ「氏神の花」であって 家を取り囲んで氏族に幸いをもたらす神聖な花として祭りを荘厳した。 「卯花連垣といへることを、いづれをかきわ(分)きてと(問)はまし山里の かきねつづきに咲ける卯花」 (どの家も卯の花垣をめぐらして、それが一斉に咲くので訪ねる家がわからなくなる) …作中の台詞思いっきりこの歌の我田引水でした(謝) **箆(の)・・・矢本体。篠竹で作られている。標準的な長さは十二束。(束=両手で交互に握って何回握れるかを数えたもの) ***イッポンタタラ・・・一つ目の妖怪。アメノマヒトツ(天目一箇神)が時代を経て妖怪に成り下がったのか? 十世紀にこの名で呼ばれていたか面倒くさいので調べていません 製鉄のさい、たたら炉の炎をホド穴から片目でながく見つめる仕事をする棟梁は一眼を失明する事が多いので、片目の神の逸話が生まれたと思われる。 ※碧い瞳のリリス・・・ どんなに悲しいこ〜と〜も わたしに伝えて あなたのひとみのリリス〜 みつめかえして♪ …それを言うならエリスだろ!って十代の方は知りませんよね(汗) というか同世代にも通じるかどうか… つまらないネタに注釈つけてスイマセン。 (安全地帯「碧い瞳のエリス」より) ※※赤地の直垂(ひたたれ)に、黄櫨匂威(きはじおどし)の鎧に鍬形(くわがた)打った甲を着け、征矢三十程指した胡ぐい(やなぐい)に節巻の弓を持ち、白葦毛(しろあしげ)の馬に黄覆輪(きふくりん)の鞍 ・・・「平家物語」や「太平記」などの軍記物はよくこのような表現をする。 参考にしたのは「今昔物語」の維茂当人と「保元物語」に登場する源為朝や「平家物語」の平敦盛と木曽義仲のいでたち。 多分十世紀の格好じゃないです… 直垂→武士の平常服。生地や色目にはあまり決まりが無くさまざまだった。 室町時代には礼服として用いられるようになる。 黄櫨匂威の鎧→大袖の部分の絲模様が下の段から上の段に行くに従い黄櫨色が濃くなる鎧 例えば下から白→黄→橙のような感じ。 平貞盛の代から伝わったといわれる平家の家宝「唐革の鎧」はこの黄櫨匂威の鎧を指すが 一之巻でも述べた様に十世紀に大鎧が使われていたかは疑問。 また「唐革の鎧」は平氏祖の桓武天皇の御世に天から降ってきた不動明王の鎧とも言われている。 持論ですが何らかの原因で紛失した平氏家宝の鎧が後世になってから大鎧に作り直されたと考えるのが合理的。 ちなみに黄櫨匂威の鎧は時代が降り源平合戦のおりに、 倶利伽羅峠の戦いで敗軍の将となった平維盛が食料を得るために売り払ってしまう。 鍬形→兜の前立ての一種。平安中期から使われ始めた。 胡ぐい→ぐいが文字化けするのでかっこ悪いですが平仮名です。古代の矢を入れる容器で十世紀当時には儀杖(ぎじょう)化していたが、胡ぐいは容器を入れる物の総称でもある。 「今昔物語」で登場する維茂は胡ぐいを装備していたのでそれを参考にしましたが「征矢三十に雁股(鏑矢)二隻」と言う表現があり、 征矢二十四に鏑矢二本を指すのが普通の箙(えびら)以外の物を使っていたと思われます。 今作では比喩ではなく胡ぐいそのものを使っている事にします。 ちなみに儀杖とは儀式の際に威儀を正すために使われる武器・武具。 一線を退いた旧武器は儀杖になる事が多い 節巻の弓→木製弓の節の部分に補強のため樺皮などを巻いた弓。 平均210センチ位で大きさは世界最大級。今作でお万が使う弓も節巻の弓だがモデルは 保元の乱のさい天下無双の武将で知られた源為朝が使った八尺五寸(約255センチ)の五人張りの節巻の弓。 白葦毛の馬→やや青みがかった白毛の馬 黄覆輪の鞍→前輪と後輪の縁を金銅金物で縁取りした鞍橋(くらぼね)。 鞍橋とは鞍褥(くらしき)を敷いて人が跨る中心部分。狭義で鞍と言えば鞍橋を指す。 #一騎打ち・・・当時は焦土作戦が中心で一騎打ちなんかしません。 中世=一騎打ちのイメージがありますがまともに一騎打ちした記録は意外と少ないです。 まあ小説と言う事でお見逃しを(笑) ##“小烏丸”(こがらすまる)・・・平家に伝わる宝剣。平家の重宝として現在御物になっているものは 作者は天国(あまくに・大宝<701年>)とされるが実際は平安初期の作か 鋒両刃作(きっさきもろはづくり)の刀剣を小烏丸太刀などと呼ぶようになるので 多分現在に伝わるものは何本か造られた小烏丸太刀の内の一つでは?(つまりレプリカ) 鋒両刃作とは刀身の先端から半分以上が両刃になっていること。 伝説では桓武天皇が伊勢神宮の使い三本足の烏(八咫鴉)からお授かりになり、 後の世に反乱鎮圧に任命された平貞盛が賜り、以来平家の家宝となった。 |