作:葉月の神官さん

壱之巻―呉葉―

下弦の月が叢雲に包まれ、少女の顔が影に覆われる
セーラー服の少女が人影の無い闇夜の山道を一人でいる事は妙だが、
彼女は闇を恐れる様子も無く歩き続けていた。
月に群がる雲が流れ行くと、月光が鮮明に美少女の姿を映し出した。

月明かりに照らし出された少女の肌は神秘的なまでに青白く美しかった。
太腿の辺りまで掛かる流れるような黒髪は夜風に揺蕩い
漆黒の瞳は怜悧に輝き、一見すると決して他者と相容れないように見えるが
彼女を深く知るごく一部の者は瞳の奥にある秘められた悲哀と優しさを覗く事が出来る。

少女の手弱女のような色白の細腕には日本刀によく似た太刀が握られている。
柄頭は月の形をして柄に蔦模様の彫りが入り、鐔は四方星型の装飾が施されていた。
如何なる銘の刀であるか不明だが痩身の美少女にはその刀が良く似合う。
女月神の化身のような美少女葉月はこの刀により何度も危地から脱した事がある。

葉月は颯爽と歩を進めていたが何かに気づいたのか、その足を止める。

葉月の研ぎ澄まされた五感は何者かの接近を告げていた。

(馬の蹄か…騎数は…かなり多い。三十…いや五十騎はいる)

かつて本の旅人として幾つ物世界を巡り、数々の修羅場を経た葉月は迫り来る者達が
決して好意的な者ではないであろうことを察していた。

その内にはっきりと葉月に向かって来る者達の騎馬の足音が聞こえてくる。
やがて葉月の眼前に一群の集団が現れた。
見慣れぬ少女の姿を確認した集団の男達は、先頭の男の支持下、遠巻きに陣形を組む。
この先へ進む事を断じて許さないような姿勢だ。

葉月は刀の柄に手を掛けながら訊ねた。

「君達は何者だ?」

その声は低く内容も簡潔だが盗賊集団のような男達を相手に少しも物怖じをしない堂々とした態度だった。

そこに集団の指導者と見られる男が前に進み出ると人を小馬鹿にした態度で口笛を吹いた。
彼は汚れきった麻の小袖の上に動物の毛皮を羽織り、少し長めの括り袴を着ていた。
その男は下卑た笑みを浮かべながら葉月に言った。

「それはこっちの台詞だ。変な格好しやがって。ここがこの俺の…鬼武様一党の縄張りだって事を知らねえのか?」

「さぁ?この世界に来たばかりだし君の事なんて知らないよ。」

「世界?何訳の分からねぇ事言っているんだ?とにかくここをただで通すわけにはいかねぇよな…」

男達はニヤつきながら葉月の均整の取れた肢体を舐めつくような目つきで見回していたが葉月は無視して訊ねた。

「一つ聞きたい事があるけど。この先の水無瀬村に行けば紅葉と言う名前の女性に会えるかい?」

鬼武は紅葉と言う名前を聞くと少々顔を強張らせた。

「あの人に会ってどうする?まさか…お前は都の手のものか?」

鬼武が手を挙げると盗賊達は一斉に刀を抜いた。

「そうか…紅葉様の御身を捕らえに来たのか。ならば生かして帰すわけには行かない。」

葉月はたじろぐ様子も無く刀を抜いた。

「違う!紅葉じゃない…彼女は初美なんだ。初美は僕のものだ!初美を帰して貰う!」

「何をまた訳の分からない事を…かまわねぇ。やっちまえ!」

鬼武の指揮下、盗賊達がまさに葉月に襲いかかろうとした。

その刹那。
側面から割れるような高い音を立てて隼の如き速さで矢が飛来した。
今まさに切り結ぼうとした葉月と鬼武の間に鏑矢が突き刺さる。
地面に立つ矢に目を奪われ、お互いの足が止まった。

「双方とも止めなさい!そこまでです!」

葉月と盗賊達は声の主の方に一斉に振り向くと、自分達に向けて弓矢を構える色白の女性が目に入った。
現在の呼び方で言えば175センチ位の長身の女性は、柳腰の肢体に萌黄色の狩衣を身にまとい、
250センチ以上に及ぶ節巻の大弓を軽々と引き絞り双方を威嚇していた。
恐らく20代前半であろう女性の美しいが鋭く意志の強そうな瞳の輝きは葉月と共通する物があった。
やや青みを帯びた髪は束ねられ凛とした表情の女性は鬼武を睨み付けた。

「何の真似だ?お万。ここは俺達の管轄だ。お前には関係無い!ひっこんでいろ!」

鬼武は苦々しそうな表情で長身の女性をお万と呼んだ。
お万は鬼武へ向けられた視線を一旦葉月の方に移しながら答えた。

「呉葉様はこのお方が来られる事をご存知でした。
私は丁重に内裏屋敷へご案内するようにと申し付けられました。」

「ふざけるな!お前の言う事が信じられるか?
それに俺達は紅葉様に従っても呉葉様の部下になった覚えは無い。
舐めた事ぬかすとその小娘とお前をまとめてブチ殺すぞ!」

「以前一騎打ちに応じてやった時、私にあっさり組み伏せられたお前がそんな事が出来るのか?」

お万は挑発するように笑った。どうやら二人は過去に対決した事があるようだ。
鬼武にとってそれが余程忌まわしい記憶だったのか?彼の表情は見る見るうちに赤くなっていった。

「黙れ!この人数相手に戦えると思っているのか?」

「さあ…無理だろうね。ただ私の*箙には24指の征矢が入っている。
少なくても貴方達の半分はあの世逝きだ。
そうなった場合確実に言える事がある。真っ先に死ぬのは鬼武…貴方だ!」

お万は真っ直ぐに鬼武の方に矢を向けた。
彼女が使う大弓は五人張りの強弓で男二人がかりでも引く事が出来ない代物だった。
お万はこの弓を軽々と使いこなし、如何なる**大鎧も貫通するほどの威力を誇る。

鬼武は以前の戦いでそのことを知っていたため、ここは引かざるを得ないと判断した。
彼は憤懣やるかたない表情で歯軋りをしながら手を挙げると部下達に撤退を命じた。
彼達は怒りのやり場も無く元来た道に引き返した。

「お万…このカリは必ず返すからな!忘れるな!」

鬼武は捨て台詞と共に背を向けると馬に鞭を入れた。
お万は鬼武の馬の蹄が遠のくと弓を構えたその手の力を緩め、葉月の方に顔を向けた。

「お怪我はありませんか?葉月殿?」

お万は先程より穏やかな表情を浮かべた。

「大丈夫。それよりかどうして僕の名前を知っているんだい?」

葉月の方は緊張を解いていないが、取り敢えず敵ではなさそうなので刀を納めた。
その様子を見たお万は葉月の警戒心を解そうと少し微笑んだ。

「貴女の事は呉葉様にお聞きしています。
この国には無い珍しい服装の美しい少女が必ず紅葉様を探してここを訊ねてくると。」

「呉葉って誰だい?初見…いや紅葉とは別人なのかい?」

呉葉は紅葉の幼名であるが鬼武の話の内容から推測すると別人のようだ。

「呉葉様は紅葉様と深い係わりをお持ちの方です。
とにかく呉葉様にお会いになられたらいかがでしょうか?」

「紅葉の事が何か分かるのなら」

呉葉が何者であるのか謎であったが、この世界では紅葉と呼ばれる初美の行方が知れなかったので、
取り敢えず呉葉なる人物が初美について知らないか訊ねてみようと思った。

「決まりですね。さあ…これから呉葉様が待つ内裏屋敷に向かいましょう。」

お万は葉月の方に手を伸ばした。
その手は強弓を引く力を持ちながら信じられないほど白く細かった。

「私の手を握ってください。“神行法”の秘を持って貴女を内裏屋敷にお送りいたします。」

「神行法?」

「道術の一つです。どのような術かは…とにかく私の手を取れば分かります。」

葉月はまだお万の事を完全に信頼した訳ではなく、彼女の言うがままに物事が進んでいるように思えた。
だが何らかの罠だとしても初美への手掛かりが他に無いのでお万の話に乗らざるを得なかった。

「わかった…ただし呉葉が紅葉について何も知らなかったら僕はすぐに去るからね。」

そう言いながら渋々と葉月はお万の手を握った。お万は安心させるように言った。

「呉葉様はきっと貴女も良くご存知の方ですよ…では行きます。」

「なっ…!」

葉月が心の準備をする間も無く、急速に宙に舞い上がり墜落したような奇妙な感覚の直後、周りの風景が一変した。

「ここは?」

葉月は彼女にしては珍しく驚いたような表情を浮かべていた。
今までの山道ではなく、筑地塀に囲まれた二階建ての門の前に辿り着いていた。
門はお万達が来る事を予測していたのか開け放たれていた。

「内裏屋敷へようこそ。葉月殿。」




お万は一夜のうちに数十里を行く能力を持ち、今使ったのは神行法による瞬間移動だと説明された。
門を潜ると山中には信じられないほど立派な屋敷が目に入った。
お万の話によると紅葉の事を慕った村人達が彼女の為に京の内裏を模して建築したらしい。
紅葉が村人に慕われていた理由は紅葉が術を使い病人の治療を行い、占いで宣託を行い、
楽曲で人々の心を和ませる等の事をしていたので尊敬を集めたという。

いかにも初美らしいなと思いながら嬉しそうに紅葉の事を話すお万に対して徐々に警戒心を解いていった。

内裏屋敷の中を案内され、奥の間に通されると聞き覚えのある声の主が葉月に飛びついてきた。

「うわぁ〜ん。葉月ぃ〜。会いたかったよぉ!!!」

声を震わせる少女は葉月の胸元に飛び込んだ。
***葉鼓革模様の唐衣に海賦裳姿の少女はリリスだった。
縮れ毛で金髪の彼女には何故か十二単姿が意外とよく似合っていた。
リリスは葉月の胸元でその感触を確かめるようにいとおしそうに頬擦りしていた。

「呉葉って君の事だったのか…リリス。初美が何処へ行ったか知らないか?」

葉月はリリスの体を引き離すと訊ねた。

「も〜久しぶりに会えたと思ったら。
リリス会いたかったよ
の一言も無いの?」

リリスは顔をわざとらしく膨らませる。

「ハイハイ。リリス会いたかったよ。で、初美は?」

「…感情がぜんぜんこもってないわね…。私は毎日毎日葉月の事ばかり考えていたのにぃ〜。」

葉月はリリスの言葉に悪寒が走った。
自分が毎日初美を思い行う行為と同じ事をされているのではないかと思った。

葉月は近づこうとするリリスから距離を取りながら訊ねた。

「君は図書館の管理人の役目を僕と初美に任せて君は一人でこの世界へ遊びに来たんだろ?
そうしたら何日も君は帰ってこない。僕は初美と居ればそれだけで良かったけれど…
でも初美がある日突然居なくなったんだ。」

「どうしてこの世界にイブが居る事が分かったの?」

「初美からリリスが行った先の世界で都合が悪くなると自分を召喚するかも知れないって聞かされていたからね。
その話を聞いた時はまさかと思ったけれどね。」

葉月は鋭利な刃物のような視線をリリスに向けた。
その抉る様な視線を浴びリリスは自然に流れ出す汗が止まらない気分になっていた。

「リリスが十世紀の日本の世界に行く事は君自身から旅立つ前に聞いた。
だからこの時代の伝承を調べて初美と思しき人物に目途をつけて探していた。
人々に慕われながらその妖力の為に都人から恐れられ追討を受けた鬼女紅葉伝説。
この紅葉こそ初美に違いないと直感したよ。」

「あはははっ…結構冴えているのね。」

リリスは無理に笑顔を取り繕おうとしたが遠慮がちに葉月を覗く目は恐怖のためか笑っていなかった。

「でも君が紅葉の幼名である呉葉を名乗るなんて思いもしなかったけれど…。
いいかい?リリス?どうして君が初美をこの世界に呼んだのか敢えて聞かない事にする。
初美のために建てられたこの屋敷に何故君が居座っているかもだ…だけど!」

葉月は電光石火の速さで刀を抜くとリリスの喉元に切っ先を突きつけた。

「僕が何を言いたいか分かっているよね?」

刀身の冷たい感触に恐慌状態に陥ったリリスは泣き出した。

「きゃぁぁぁっ!!!やめてぇ〜許してぇ〜葉月ぃ〜」

泣きじゃくるリリスを無視しながら葉月は続けた。

「初美が何処に居るのか知っているだろ?答えろ!」

「お止めください。葉月殿。」

物騒な雰囲気でもこれまで黙っていたお万もさすがに見かねて止めに入った。

「貴女には関係ない。これは身内の話なんだ。」

「…紅葉様はただ今戸隠にお移りしています。」

葉月がリリスを本気で斬りかねない姿勢なので仕方なさそうにお万は言った。

「戸隠?どうしてこんな立派な屋敷があるのに他の場所に行く必要があるんだい?」

葉月は不思議そうな表情を浮かべた。

「…先程会った鬼武達が紅葉様に従っていることはお聞きしましたよね。
あの者達は以前故平将門公にお仕えしていた従類(後の世で言う郎党)。
将門公がお討ち死になされた後この辺りで盗賊行為を繰り返していました。
紅葉様は私を遣わし彼らを捕らえた後紅葉様の説得であの者達に二度と悪さをさせないと誓わせました。
…ただ彼らは地域の人々に忌み嫌われ今更田畑を耕して普通に暮す事も出来ませんでした。
遠隔地で盗賊行為を繰り返す彼らはとうとう国衙に目を付けられ、
あの愚か者達の頭目が紅葉様だと勘違いされてしまったのです。」

「そうか…だから初美はここの人達を巻き込まないように別の場所へ移ったのか。」

「その通りです。
紅葉様は※押領使に任命された平維茂殿を説得して鬼武達をどうにかして許してもらおうと思われているのです。
万が一紅葉様に罪が及ぶ事になってもこの村の者達に迷惑をかけないようにご配慮されたのです。」

初美の優しさを思うと葉月は胸が締め付けられるように苦しさを感じた。
葉月はリリス達に背を向けると部屋から立ち去ろうとした。

「待ってよぉ〜葉月。何処へ行くつもり?」

「決まっているじゃないか。これから戸隠へ行く。」

「…もう遅いですし今日はお休みになられてはいかがですか?」

お万は葉月を諭すように言った。

「気持ちは有難いけれど…初美が狙われているのなら少しだってじっとしていられないよ」

「明日私が神行法で戸隠までお送りいたします。だからせめて今日は呉葉様とごゆるりとなさってください。
色々とお二人だけで募る話もあるでしょう。」

「別に僕とリリスは何も…」

「呉葉様は毎日葉月殿の事をお話されていました。本当に貴女とお会いしたかったようです。
だからせめて今晩だけでも呉葉様と御一緒に過ごしてさしあげてください。」

お万は両手を突き深々と葉月に頭を下げた。
年上の女性にこのような丁重な態度を取られ葉月は戸惑っていた。

「わかった…今日だけは泊めさせてもらうよ。だけど明日は必ず戸隠に案内してもらうから。」

「有難うございます。葉月殿。さっそく侍女に寝所の準備をさせます。それでは失礼いたします。」

お万は再び頭を下げるとその場から立ち去った。
この不思議な女性には、さすがの葉月も主導権を握られっぱなしだった。
そんな葉月の気持ちを知ってか知らずかリリスが不気味な事を言い出した。

「ふふふ…葉月ぃ〜ようやく二人きりになれるね。私と同じ部屋を貴女の寝所にするように指示しといたから♪」

「はぁ?」

葉月はリリスのさりげない一言に眩暈を感じた。




リリスの寝所に通された葉月は布団が一組しか準備されていない事に呆れかえった。
お万が何か勘違いしているのか?それともリリスが最初からそう命じたのか…

「これだけ広い屋敷なら他の部屋もあるだろ?無いなら僕は廊下で寝る。」

「ええっ〜!せっかく久しぶりに会えたのにぃ〜リリスちゃんと一緒に寝るのぉ〜」

リリスは駄々っ子のように両手をばたつかせた。余程お万が甘やかしていたのだろうか?
まるでその様子は聞き分けの無い子供だった。

「…気持ち悪い。」

「お万には貴女の事を私の恋人って伝えているの。」

「…だからやたらと泊まるように勧めていたのか…」

葉月は一杯喰わされたと思い深い溜息をついた。

「まあそれだけじゃないんだけどね。とにかくこの世界に来てくれて嬉しいわ。」

「君に会いに来たわけじゃない。初美を連れ戻したら君はずっとここに居ても良いんだよ。」

葉月は翻弄され続けた悔し紛れに心にも無いことを言った。
だがこの一言はリリスを本気で傷つけたようだ。

「酷い!私が居なければずっと図書館でイブとラブラブだから?
どうせ私なんて…私なんて…居たら邪魔なのね。居ない方が良いのね!え〜ん!!!」

リリスはまた泣き出してしまった。
葉月はいつもの嘘泣きだろうと思いつつ、少し言い過ぎたと後悔した。

「御免…リリス。僕だって一人きりで寂しかったんだ。君にだって会いたかったよ。」

「本当に?私を慰めるために嘘をついたりしていない?」

リリスは潤ませた瞳を葉月に向ける。
そんな様子のリリスを葉月はそっと抱き寄せた。

「僕は嘘をついたりしないよ。一緒に居たから分かるだろ?」

葉月はリリスの髪をそっと撫でながら言った。

「…うん」

「君にまた再会できて嬉しいよ。嬉しいからちょっと意地悪を言いたくなったんだ。」

「葉月って性格ワル〜」

「性格悪いのも知っているだろ?」

「いいえ。フリをしている事なら知っているけれど。本当は思いやりがあって凄く優しいから。
でも葉月って照れ屋さんだからわざと人を突き放したような態度を取るのよね。」

ちょっと機嫌を直したように目元に涙を浮かべながらもリリスは微笑んだ

「…思い過ごしだよ。」

「ふふふ…葉月のそんなところも大好きよ。
色々お話したい事もあるけれど明日はおでこに会いに行かない駄目だから早く寝ないとね。
今日はもう寝ましょう。」

「ああ…お休み…リリス。」

葉月は灯明の火を消すとリリスと同じ布団に入った。
リリスは葉月が今晩は一緒に居てくれる事に安心したのか早くも寝息を立てている。
その寝顔を姉のように穏やかな表情で見つめながら、
葉月はリリスを起こさないようにそっと両腕で抱きしめ眠りに着いた。




「お早うございます。呉葉様。葉月殿。」

お万は何かに急かされた様子で、息を切らせながらリリスの部屋に訪れた。

「お早う。お万どうしたんだい?その格好は?」

葉月は朝っぱらから物々しいいでたちのお万に訊ねた。
彼女は萌黄色の狩衣姿は昨日と同じだったが、その上に八間の草摺の胴鎧を身に着け
腰には※※毛抜太刀と呼ばれる柄の部分に細長い透かし模様が入った共金造りの太刀を佩いていた。
昨日と同じく箙を肩に掛け、化け物のように大きな弓を携えたお万は慌しく答えた。

「はい…何やら嫌な予感がしたので先程神行法を使い単身戸隠の様子を見に行ったのですが、
何者かに襲撃されたようです。村は焼き払われ人一人居ませんでした。」

思いもよらぬ知らせに葉月は声を上げた。

「そんな!じゃあ初美は…いや紅葉はどうなったんだ?」

「分かりません。とにかくただ事ではないので武装を整え貴女にお知らせしようと急ぎ戻りました。」

「わかった!直ぐに行こう。リリスは僕達を待っていて。」

葉月が中庭へ出るとリリスも着いて来た。

「え〜リリスちゃんも行くぅ〜なんか事件って感じで面白そう」

こんな時でもリリスには全く危機感が無いので葉月は拍子抜けした。

「遊びに行くんじゃないし危険かもしれない…いいや、間違い無く危険だと思う。だから待っているんだ。」

葉月は怒るような口調で言ったがリリスは意にも返さなかった。

「貴女は知らないかもしれないけれど、お万の神行法は凄く疲れるのよ。
お万は決して弱音を吐いたりしないけれど昨日も今朝も術を使って内心ヘトヘトのはずよ。
だから私がお万に力を送ってあげると少しは楽になるわ。」

リリスがお万に軽く片目をつぶって見せるとお万は恥ずかしそうに俯いた。

「本当か?お万?」

「ええ…私が未熟者なのものでして…」

お万は申し訳なさそうに頭を下げた。

「御免…貴女がどれだけ大変かなんて想像しないで便利な術位にしか考えていなかった。
リリス!お万を助けてあげて。だけど危険が迫ったら君だけでも逃げるんだ。」

「やった〜有難う葉月。」

葉月とリリスはお万の両手を繋いだ。

「それでは戸隠に向かいます。お二人とも準備はいいですね?」

「ああ」

「OK牧場!」

「…この時代にOK牧場は通用しないだろ?」

お万にとっては意味不明の会話もなんとなく彼女の心を和ませるものだった。
二人の顔を見ると瞳を閉じた。

「それでは参ります…しっかり手を繋いでください。」

空間が歪み、葉月達の姿が湯気のように沸き立つ光に包まれる。
その光が柱を模ると三人を抱いた光は空に向けて放たれた。
燐光がやがて収まるとそこには人影が無く一陣の風に靡く庭草だけが取り残されていた。





用語説明

*箙・・・平安時代の矢を入れる道具。箙には征矢24本に上差しといって雁股(鏑矢の事)を二本ほど加えて射すのが普通である。

**大鎧・・・騎馬武者用の鎧。源平合戦などで名のある武将が着ているような鎧だが十世紀当時に使われていたかは不明。
十世紀の武将である俵籐太等が絵巻で大鎧を着ているが後世の絵巻のため存在を実証し得る物ではない
今作では使っちゃいますがあまり信用しないでください(汗)

***葉鼓革模様の唐衣に海賦裳・・・女官の正装は唐衣と裳をつけた。女房装束と言い、俗に十二単と呼ばれる。

※押領使・・・地方の行政機関である国衙の検察機能である国衙三使の一つ。内乱の鎮圧等を行う。
押領使として有名な歴史上の人物に平将門を討ち取った藤原秀郷(俵籐太)がいる。

※※毛抜太刀・・・日本刀誕生以前の太刀で刃に反りがついた弯刀。
共金造(又は共鉄造)とは柄と刀身が一体の造りで、後の日本刀より製造技法が劣る。
ちなみに「神無月の巫女」原作の漫画で姫子が所持している刀が毛抜太刀の形状をしている。


*と※が混ざってしまい申し訳ございません
他にも分からない言葉などがあれば指摘していただければ知る限りの範囲で(マテ)お答えします。

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