ヤミと帽子と本の旅人〜ショートストーリーズ〜

作者&イラスト:こずみっくさん

世界の交叉路の上で#8

 アスファルトの片隅に、花を見つけた。とても小さくて、誰かが踏んでしまえば簡単に潰れてしまいそうなほど、儚い花だった。けれど黒ずんだアスファルトの上、とても鮮やかに咲き誇っていた。
幼いボクは、そんな花をきれいだと思った。
だから、その花を傷つけないようにおそるおそる摘みとった。お母さんやお姉ちゃんに見せてあげようと、大切に握り締め、持ち帰った。何もかもが大きい道路を、はやる気持ちを抑え、慎重に歩いた。
だけど、家に着き手を開くと、その花は力無く萎れていた。それはずっと握っていたからだなんて、そのときのボクは分からなかった。きっと摘み取ってしまったから、花がボクを嫌いになったんだ、そう思った。切なさに似た罪悪感がこみ上げ、幼いボクは玄関口で泣きじゃくった。土に埋めればまた元気になるかと思い、庭先に埋めたが、当然萎れた花が元に戻る訳もなく、だらりと地に垂れただけだった。ボクは泣きながら、必死で許しを求めた。それも当たり前のように届くはずもなかった。
ボクが声を殺して泣いていると、後から名を呼ばれた。振り返ると、そこにランドセルを背負った初美がいた。初美はボクと萎れた花を見ると、優しく微笑み、ボクの髪を優しくなでた。ボクの傍にしゃがみこむと、その花をそっと拾い上げ、静かに息を吹きかける。すると花は、徐々に瑞々しさが戻り、鮮やかな花弁が、またボクに微笑んでくれた。
 ボクは泣きはらした顔でその花に微笑み返した。


 一瞬、地面の感触が消えたかと思うと、いつの間にか図書館に立っていた。
傍らを見ると、同時にこちらを見上げていたリリスと目が合う。
 リリスは、葉月の手を握った。
「−−−こっち。」
 頷きかけるようにいうと、その手を引き、通路に靴音を響かせる。葉月は先導するリリスの背に既視感を覚えた。
 
 −−−−−はじめて出会った時も、こうして彼女に手を引かれていた。
 
 葉月は苦笑した。そんな事を考えている場合では無いはずなのにな、と。
 リリスは、通路の一角で駆けていた足を留めた。葉月もそれに倣う。リリスは書架の中から一冊の本を取り出した。僅かにすすけた、古めかしい本だ。書名は何処にも見当たらない。リリスは、ずっと握り締めていた葉月の手を、その本に重ねた。
リリスが、深く息を吐く音が耳に届く。リリスはもう一度、葉月を見上げた。
「離しちゃダメだからね。葉月。」
 それに応え、その手を握り返した。
「わかった。」
 リリスは少し微笑み、頷く。
「いくよ。」
 それに呼応し、黒くすすけた本は瞬く間に光だした。

 葉月は目をつぶっていたが、手には変わらずリリスの手の感触があった。何かに呑み込まれそうな感覚が絶えず纏わりつくが、彼女が強く握ると、ふっと引き戻される。葉月は、握り返す手に、淡い安心感を感じた。
「−−−−葉月。」
 リリスに呼ばれ、葉月は瞼を開けた。
 そこには何も無かった。
首を巡らせ、頭上を仰ぐが、何一つ見つからない。
「ここは“白紙の世界”。何も無い、うつろの世界。今からリリスちゃんが、ここに他の世界に直結する中継世界を構成するから、葉月はおでこちゃんを回収してきて?」
 リリスは葉月の疑問に答えるようにいった。
「リリスは行かないのか?」
 葉月はリリスの様子に微かな不審を覚える。
「移動する個体は、一つが限界なの。それにリリスちゃんはけっこー強力なソ−マを持ってるから、この世界に負担がかかって、壊れちゃうだろーし。宇宙庭園みたいに、繋がってるけどてんでバラバラならまだ軽減する可能性もあるけど、この場合は意図する場所へつなげるワケだから、それは適応できないの。だから、リリスちゃんはここで本を維持してるね。・・・ごめんね。一緒にいけなくて。」
 リリスは少しだけ悲しそうに 笑った。
「いいよ。・・・大丈夫」
 葉月も、口元を僅かに綻ばせ、リリスに言った。
 
 −−−−−刹那。
突如、布を破くような音が、鼓膜を劈く程の音量で、空を裂いた。
服や産毛が、ビリビリと震えた。
 葉月が再び振り仰ぐと、白紙に巨大な裂け目ができていた。いつか孤島で見た、ぺリぺリにも似たその裂け目は侵食するように拡がり、瞬く間に白は混沌に呑み込まれた。
「なんだ!?」
 葉月が、叫ぶように言った。
「誰かが・・・多分あいつが、この世界にムリヤリ同調しようとしてる・・・!」
 リリスが同じように答える。
そうしなければ、声は音にかき消されてしまいそうだった。
 辺りは、灰色や青を基調とした絵の具を悪戯に塗りたくったかのように視界一面が混濁としていた。それが、徐々に歪みを矯正し、目が慣れるように色彩が象を結んだ。
 
 そこは冷気さえ漂うような、薄やみが占めていた。
石造りの灰色の回廊がそれに、拍車をかけるようだ。
葉月は闇に溶けたその先を見据えたまま、傍らに声を落とす。
「−−−−リリス」
 リリスも視線を動かさず、頷く。
「この先に−−−−いる。」
 葉月とリリスは確かに感じていた。強いソ−マの脈動を。
左右に屹立する巨躯の石柱は、いざなうように奥へ連なっている。
 二人は示し合わせたかのように同時に足を踏み出した。
 その音は、回廊の静寂を乱し大きく響いた。
堅い石壁に反響し、靴音が雨音のように聞こえた。
一歩進む度、先の闇が薄くなり、その先の景色に変わる。
  
靴音が、止んだ。
 佇む二人の視線の先に、一枚の門扉があった。
葉月が扉の蝶番を掴む。金属独特の冷たさが掌に伝わった。
知らず、握る手に力が籠る。
そして重い手ごたえのする扉を開いた。
扉の開く音が、耳に鮮明に届いた。
  広く、仄暗い部屋だった。
 足下にある、闇に黒ずんで見える紅い絨毯。それがつくり出す紅い道。その先には僅かな壇があり、その壇上には巨大な円形のステンドグラスがあった。
 教会のようだ。
葉月は思った。光の射すステンドグラスは、床に鮮やかな影を生み出した。
神秘的でさえある。それを背に、一つの人影が立っていた。長身痩躯の黒いシルエット。
「−−−−レディー二人の招待にしては、ちょっと不躾なんじゃない?」
 リリスが冗談めかして口を開いた。
「もてなしに、紅茶ぐらい出すものよ。」
 言葉に反し、その口調は重い。
黒い影は黙したまま微動だにしない。
葉月は目配せし、リリスはそれに首を振った。
「・・・葉月。」
「心配いらないよ。」
 リリスを遮り、葉月は言った。その口元に、笑みをのせた。
「ボクは・・・負けない。」
 葉月は口金に刃峰をすべらせ、煌めく刀身を露にした。
そして、まっすぐに影へと据える。
 影は両の腕をゆっくりと左右に広げた。
突き出した拳を開くと、次の瞬間、火が灯るようにソ−マの光りが爆ぜた。
 張り詰められた糸のように、大気は止まり、音が息を潜めた。


 花は、水に射すと長もちして、太陽の光を浴びさせると、もっと元気になった。
  
 それを教えてくれたのは初美。
 
 ボクはそんな初美に憧れて ボクはそんな初美が、どうしようもなく 大好きだった。

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By よっくん・K