ヤミと帽子と本の旅人〜ショートストーリーズ〜
作者&イラスト:こずみっくさん
世界の交叉路の上で#7 |
リリスの周りに生物はいなかった。 草も木も、彼女を中心にくり抜いたように何もなかった。 ただ、光量とした大地が漠々と広がっている。 その様を葉月は呆然と眺める。 それは、リリスが受けた余波の影響だった。 イヴの犠牲を持ってしても、リリスのダメージは少なくない。リリスはこの大地の受けた攻撃と同じ威力の攻撃をその身に受けていた。 葉月は背後を振り向く。 そこには地面に座り込んだリリスの姿があった。 被った帽子が僅かにずれている。 あふれ出すような金髪が、何処か色褪せて見えた。 「リリスーーーー」 答えは無い。葉月は音を立てずに溜息をついた。うつむいたその顔を、幅広の帽子の縁が覆い隠している。身じろぎひとつしないその姿から、その表情は、窺い知れない。 葉月はもう一度 溜息をついた。 あの後、ずっとリリスは泣いていた。 葉月も泣き崩れそうになったが、リリスの前で泣くわけにもいかず、ずっとリリスを抱き締めることに専念していた。 そのため、胸元は大分濡れたが。 葉月は再びやるせなく思う。 それを振り払うように空を仰いだ。 何処までも蒼いこの空さえも、憂鬱に思えた。 葉月は、その手に持つ一振りの太刀を目線近くまで持ち上げる。 鞘から少し抜くと、微かに刃の擦れる音がした。 刃こぼれひとつ無い、永久に美しくあるであろうソーマの刃が、覗く。 それは、空を映し、青白く輝いていた。 「ーーー葉月・・・」 葉月は刀身を収めると、声の主へ振り返る。リリスは、ゆっくりと口を開く。 「・・・ひとつだけ、イヴを生き返らせる方法が、あるわ。」 その口調に、先程までの狼狽は無い。 「・・・どうすればいい?」 葉月も、急いで聞き返しそうになるのを押しとどめ、静かに言う。 「今、イブのソーマの残滓がこの帽子にある。・・・他のソーマと混ざるのは時間の問題かもしれない。だから・・・それ。」 「・・・これ?」 と、手に持っていた刀を持ち上げる。 「そう。それに、イヴのソーマを注ぎ込むわ。一時的にソーマの保管庫にするの。イヴの血を受けて洗礼を受けたものだし、イヴのソーマも受け付けやすいと思う。放出しない限り消費することもないから、大丈夫。」 葉月は僅かに目を伏せる。 「・・・解った。」 軽い金属音をたて、刀を差し出した。 「・・・ん」 丁寧な手つきで受け取る。 そして、深呼吸するように長い吐息をつく。刀を重そうに持ち上げた。 両の手で握られつつも、その負担は大きいらしい。先刻のことで、疲弊しきった体には、酷だろうか。 葉月が支えようとするのを、リリスが制す。 あまり他のものに接触しないほうがいい、とリリスが言った。 葉月は、多少気にかけるが、不承不承に頷く。 リリスは瞼を閉じた。 太刀を握る手に力がこもる。 リリスの周りにソーマが滲むように溢れ出す。 それは太刀に吸い寄せられるように漂いうごめいた。 溢れ出たソーマが全て刀へ収まると同時に、リリスが崩れるように倒れた。 「ーーーーリリス!」 葉月が急いで駆け寄る。 寸前で抱き留めるが、バランスを崩し、膝頭を地に打った。 「大丈夫か?」 黒髪が、金髪に掛かる。 「・・・ゴメン、大丈夫。ちょっと疲れただけだから。」 リリスは、よろめくように身を起こすと、訥々と語り出した。 「イヴのソーマが少しでも残っていれば、イヴ自体が消滅することはないわ。・・・イヴが消滅すれば、イヴがいた記憶だけじゃなく、イヴのいた痕跡も消えることになる・・・」 「どういう事だ?」 「・・イヴはソーマの源。世界の起源。全ての根元。それが消えるのは・・・・全世界の消滅を意味する・・・」 葉月は、思わぬ方向に自体が発展したことに驚き、同時に得心した。 全てはイヴの存在で支えられているのだ。 葉月は、驚きはしたものの、思ったほどの恐怖を感じなかった。むしろそのことに驚きを覚えたほどだ。考えてみれば、初美のいない世界など、とるに足らない、色彩を失った世界にしか思えなかった。 葉月にとって、初美の消えた世界など何の価値もなかった。 魅力を失った世界は、瞬く間にゴミへと変わる。そのゴミが、他の人間にどんな価値があろうと。 リリスは継ぐ。 「でも、イヴのソーマが少しでも残っていれば、本の世界に存在する“イヴの仮の姿”までは消えないわ。並行世界の“イヴ”を回収して、イヴを再構築すれば、イヴは蘇るわ。」 葉月はこみ上げる気持ちに声を詰まらせる。 「本当・・・か?」 うまく声が出せない。 リリスは肯定する。 空虚だった胸に、暖かな光が射し込む。 「初美が・・・」 ーーーまた 会える。 そう思うだけで、叫びたいほどの高揚が身を熱くする。 しかし、それは一縷の望みにすぎない、喜ぶのはまだ早い。葉月は自信をいさめた。 「ーーー行こう、リリス。」 双眸を勇め、葉月は言った。 「ーーーうん。」 応え、リリスは帽子を被りなおした。 |