ヤミと帽子と本の旅人〜ショートストーリーズ〜
作者&イラスト:こずみっくさん
世界の交叉路の上で#3 |
垂れた双眸は紅紫。その瞳に入る光量で、いかようにも見て取れる、不思議な色。細い肩に不釣り合いなほど大きな帽子と、胸元にレリーフの輝くマント。それは夜に溶け込むような闇の色。それと対をなすように、波打つ髪は金の糸。見覚えのあるはずのない姿に、何故か親近感を覚える。 その瞬間ひとつの言葉が浮かび上がる。 「リ・・リス・・?」 その言葉は気泡のように浮かび上がり、消えた。 それに最も驚いたのが葉月自身だった。 少女が床に降り立つ。 葉月は驚きを困惑に染める。 ボクは知っている・・?・・この人を・・・? 必死になって何かを思い出そうとするが、何も 思い出せない。 無意識の焦燥が苛立ちを生む。 そんな葉月を知ってか知らずか、少女は微笑んだ。その様子を葉月が怪訝に思う間も無く、少女は葉月に飛びついた。 「葉ぁ〜月ぃー!!」 「−−−−わっ」 その拍子に葉月はベットに背を打った。 「葉月、葉月、葉月ぃ!」 少女は葉月の細い肢体の感触に身をうずめる。 「・・え・・キミは・・・?」 葉月は困惑する。 見知らぬ少女が、自分の名を連呼し、自分に抱きついている。制服に埋もれて顔は見えないが、その声に、何故かせっぱ詰まったようなものを感じた。 迷いながらも、その肩に優しく手を置く。触れたその肩は微かに痙攣し、泣いているようにも思えた。 少女は押し黙る。そして顔を埋めたまま、くぐもった声で答える。 「・・・わたしの名はリリス。“初美”の本来の姿、イブの姉よ。」 先程とは一変し、事務的な口調は何処か沈んだ声を強調した。 触れた場所から彼女の体が冷めていくように感じた。 「・・・リリス・・?」 少女の言葉から、その名を拾う。 呼ばれた少女は唐突に顔をあげた。しかし腕は決して離さない。緩む様子も無かった。 少女は葉月を覗き込むように見詰める。 「・・・貴女の記憶、一時的に返すわ。」 そう呟くと共に、背へまわす腕をさらに強く引き寄せる。それに呼応するかのように葉月の体を光が包む。そのあたたかな光は、二人を覆うと目が眩む程の閃光を放った。 「・・・あ・・」 様々なものが鮮烈に溢れ出す。 先程までの焦燥が嘘のように消えた。 頭が澄み渡るように 多くのモノが流れ込む。 全てが 鮮明に蘇る。 葉月は、目を見開いた。 「ボクは・・・一体・・?」 「・・・葉月・・」 少女は葉月を見上げ、呟く。 葉月は自分に抱き着く少女を見下ろす。 その名を呼べる。はっきりと。 「・・・リリス」 リリスは、優し気に目を細めた。 「・・・思い出してくれた・・・?」 それは、葉月が殆ど見たことの無い表情だった。垂れがちな目も相俟い、それは初美を連想させた。 「・・・リリス、ボク、どうして・・」 葉月は狼狽の色を浮かべ、問い返す。 リリスは、静かに口を開く。 「・・・葉月の本の世界に関しての記憶は、私が抜き取って保管してたの。最初、葉月が私を呼んでくれた時覚えていてくれたのかと思ったけど、記憶の残滓が残ってただけみたいね。」 わずかに寂しさを浮かべ、目を伏せる。 「自分で抜き取っといてなんだけど、呼んでもらえて、嬉しかった。」 目を伏せたまま自嘲するように息をつく。 「・・・抜き取った記憶はイヴが封じたの。・・・葉月が平穏という日々をおくれるように。 この世界は、新たに創られた本よ。葉月の世界をもとに創造された世界。葉月の望む “初美”の存在する世界。」 葉月は悟る。 二人は、自分の為に、こんな自分に“幸せ”を与えてくれたのだ と。 「-----今日は、あなたに用があって来たの。」 その穏やかな口調は、普段のリリスとは掛け離れたものだった。 「用?」 まだ僅かに混乱する頭をどうにか正す。 リリスは頷く。 「・・・・今、図書館で強力なソーマを持つ人間が現れたの。イヴも私も人間にそんな強力なソーマ与えた覚えが無いから、きっとなんらかの方法で吸収したのね。・・・厄介なことに、そいつ、本の世界を行き来する術があるみたいであちこちの世界を逃げ回っているの。・・・何か・・おでこちゃんみたい・・で、私だけだと手が追い付かないから、イヴに手伝ってもらわないといけないの。」 「・・・どういうこと?」 「イヴを一度図書館世界に帰すの。・・・一時的だけど・・“初美”は消えることになるわ。・・・だから・・葉月に教えておこうと思って、来たの。」 「初美が・・・消える・・?」 リリスは視線をずらす。 「・・この世界から、“初美”という存在を完全に抹消することを指すわ。国籍や記録・・あなたの記憶からも・・でもあくまで一時的なものだから、イヴがもどれば、何も無かったように元の生活に戻れる。いない間も、それが当たり前のようになるわ。」 「大丈夫・・なのか・・・?」 その声は、僅かにかすれていた。 驚きの表れか、失うことへの不安か。 「大丈夫よ。」 リリスは、いつものように笑った。 「さーてとっ」 切り替えるように。 リリスは抱き着いていた腕を緩め、自ら身を離す。 「リリスちゃんねぇ、もう向こうの世界にいかなきゃいけないみたい。一刻も早く葉月に“初美”を返さないと行けないしね?」 リリスは面白がるように、目を細める。 「・・・リリス・・」 「大丈夫よ、イヴも絶対に帰すから。何たって私は全知全能の神、リリスちゃんよ。単なる本の後始末なんて、すぐに済ませてくるわ。だから・・・心配しないで?」 葉月は微かに頷く。 彼女の気遣いを踏みにじる事は、したくない。 「じゃ、もう行くね・・・葉月。」 リリスは、身を乗り出し再び葉月を抱き締める。 愛しい人を つよく。 精一杯の力を込めて。 溢れる気持ちが 唇を零れる。 「葉月、大好き。」 小さく、言葉にならない程小さく 囁く。 微かに動きかける唇に顔を寄せ、重ねた。 柔らかな感触が 全身に広がる。 唾液を介し、葉月にソーマを注ぎ込む。唇の端から、光の雫が零れおちる。 葉月は、眠るように 瞳を閉じた。 夢に堕ちるように 闇に沈んだ。 それを確かめるように、リリスが閉じた瞼を微かに開く。 リリスが唇を離すと、同時に葉月の体は力無く、倒れた。 それをどこか、悲しみの混ざる微笑で見下ろす。 「・・・やっぱり、私には振り向いてくれそうに無いわね・・・」 静かに目を閉じる。 「・・・イヴ」 その言葉は、背後に向けられていた。 その先の、何も無かった筈の空間にいつの間にか一人の少女が立っている。 「・・・お姉ちゃん。」 少女が答える。 リリスは口を開く。大きく息を吸った。 「アンタがやんなくてどーすんのよ!葉月に話すのは辛いからって、それを私に押し付けないでよね!アンタは昔からそう!私が“欲しかったもの”をぜーんぶ持ってて、イヤなことは私に押しつける!パパも葉月も!みぃーんなアンタが持ってっちゃうんだからぁ!」 吐き出すように。まくしたてるリリスを見詰め、やがて目を伏せる。 「ごめんね、お姉ちゃん・・・ごめんね・・。」 少女は悲痛な表情を浮かべた。 リリスが、自分を落ち着かせるように 息をつく。 「・・・今回は・・許しといてあげる。お陰でキスできた訳だし。・・・ファーストじゃ無いのが心残りだけどね。」 リリスは苦笑した。 「行くわよ・・イヴ。」 「・・・うん。」 そして、二人の少女の姿は跡形も無く消えた。 先程まで二人の少女がいた痕跡までもが、この世界から消失した。 そうして、“初美のいない世界”はゆっくりと回りはじめた。 ・・・眩しい・・・ 手を翳し、目を細める。 カーテンが開いたままだった。 重い体を起こし、制服のままであることに気づく。 「・・・寝ちゃったのか・・」 昨晩、考え事をしていたらそのまま寝付いてしまったらしい。 「・・・あれ?」 ふと葉月はある疑問に思い当たる。 -----何を・・・考えていたのだろう? 半ば呆然と虚空を見据える。 -----何か・・・何か大切なことを・・・そう、大切なものだ。・・・でも、大切なものって・・・? 「-----・・・・・!!?」 不意に何かが思考を遮る。 葉月は軽いめまいを覚え、無意識に額に手を添えた。 「-----あれ?」 葉月は呆然と瞬く。 何を・・・していたのだろう・・・ 何かを失った気がする。 それはとても大切なものだ。 心臓が無くなったような、胸に大きな穴があいたような、そんな喪失感。 駅のホームで電車を待つ。 何かが、何かが足りない。 混雑する車内で出口の脇に立つ。 電車の揺れまでもが、困惑に拍車をかけるようで鬱陶しい。 気を紛らわせるように座席へ目を遣ると、温厚そうな老人が連れの男児に手話を教えていた。 ふと葉月の目に何かが掠める。 その手話の動きに、懐かしいものを感じた。 葉月は、一人でいることが多かった。同級生と付き合いはあったが、行動を共にしたことなど殆ど無い。葉月自身、一人が一番落ち着くことを知っていたからだ。皮肉にもそれが評判を買い、葉月の人気を高めることになっている。 告白された回数も数が知れない。 煩わしいことに、断られると知りつつも、何かしら行動を起こす者が、後を絶たない。 今朝も校門で何か渡されたが、もらう義理も無ければ、あっても仕方が無いという理由から、捨てた。 少し前には、いつもパンを食べているという理由から弁当を差し出す者までいた。 葉月には理解できなかった。 何故、こんな自分に構うのか。 決して報われないと知りつつ、何故そんなにも。 葉月はそれが数日前の自分の姿だと思い至ることは無かった。 |