ヤミと帽子と本の旅人〜ショートストーリーズ〜

作者&イラスト:こずみっくさん

世界の交叉路の上で#10

  「ここはかつて、イヴの化身が存在していた世界と、その時代に繋がってる。」
 アーヤは言った。
「“白紙の世界”で妨害されて世界を、リリスが再構成したんだ。葉月がいた世界が消滅しちゃって葉月が“狭間”に捕らえられそうになったから、リリスが急いで転移させたんだよ。」
 真剣味のない口調でさらさらと言う。
「狭間・・・?」
 葉月は、耳に慣れない単語を拾う。
「本の世界の間にある、何もない世界だよ。もしここにおっこっちゃうと、いくら葉月でも肉体と自我が消えて何も無くなっちゃうね。」
 葉月は、アーヤの言葉をまだ正常に動かない頭でのろのろと呑み込んだ。
 その時、目に焼き付いた光景が瞼の裏に蘇る。
「何故・・・」
 葉月は、声のする暗闇の天井を見上げた。
「何故・・・あいつが・・・?」
 言葉が見つからず、口をつく疑問をそのままに投げかける。
「ガルガンチュアは、既に自我を失っていたよ。」
 アーヤは、こともなげに言った。
 「彼は依り代だったんだよ。もともと強いソーマを持っていたし、その波動も酷似していたしね。」
「自我を・・・失っていた・・・?」
 葉月は思わず問い返す。
 アーヤは、頷く。
「大昔、ヤミ・ヤーマが崩壊したとき、膨大なソーマは砕け散り、その微粒子は、空気や全ての物に同化した。けど凄い偶然の中で、一部だけソーマが密集した部分があった。それは長い長い途方もない時間を経て、まわりの ソーマを吸収したんだ。やがてそれは、強力なソーマの集合体となった。」
 アーヤは、“大昔”をまるで昨日のことのように語った。
「でもそれは、集合体と言ってもソーマ自体、意志を持たないモノだから、ただ漠然と漂っていた。そんな時、“ソーマの源”が力を解放したんだ。」
「ソーマの源・・・イヴ・・・!」
 葉月は、初美に繋がることにあたり、微かな高揚を覚えた。
「そう。葉月がイヴを見つけて、イヴは図書館に帰ったけど、それは、イヴが本の中にいたときに封じていた力を、再び身に纏うことを意味する。確かな形もなく彷徨っていたソーマは、源へと引きつけられていった。・・・けど、2人は葉月に新たな本を創り、イヴは“初美”となり、キミの傍にいることを決めた。そして、イヴは再び力を封じてしまった。ソーマはあてを失ったかと思ったけど、近くにソーマの満ちた世界、“アルカディア”を見つけたんだ。」
 アーヤの口調は徐々に淡々としていった。
 葉月は、それに気付かず、その言葉にしがみつくように聞き入る。
「ソーマが無防備にあふれた世界で、それは吸収を繰り返し、拡大していった。当然、ソーマの塊はそこで一番強いソーマ・・・つまりガルガンチュアへ向かい、吸収を進めていったんだ。」
「・・・・。」
「うん。そして、ガルガンチュアはその強大なソーマに自我を呑まれ、肉体を奪われた。ガルガンチュアも、普通なら気付いていただろうけど、リツコ暮らし始めてから、自分自身を封じてしまった。必要ないからね。けど、彼の封印は不完全で、イヴほど魔力を隠すことは出来なかった。」
 葉月は、声が喉元に詰まるのを感じた。
−−−−−−アルカディアが、消滅したのは・・・

「そう言うこと」
 アーヤが、葉月の内心を見透かすように言った。
「世界には情も何もないけど、それが世界なんだよ。」
 僅かな、自嘲な響きが混ざる。
それはしかし、水面に落ちた一滴の雫のように、空気に溶け、消えていった。
 
 「世界の世は、過去、未来、現在を示し、界は、上下四方を指す。これはキミの世界の言葉での話だけど、言い得て妙なのかも知れないね。」
 アーヤが言う。
声が、もとの色彩を取り戻す。
「世界は“全て”。あるモノないモノ、それら全てが世界を構築する要素の一つさ。何を失おうと、“世界”は“世界”で在り続けるんだよ。
 たとえ、失うモノさえも失ったとしても。」
 アーヤは問う。
「その世界で、キミは何を求め、何を望む?」
 
「・・・ボクは・・・」
葉月は言葉に詰まる。

 顔を俯き、手にした刀が目に入った。
 葉月は刀を握る。


「初美に逢いたい。」
 
 アーヤは、短く頷く。
「それがキミの究極とするならば、それは可能だよ。」
「本当か?」
 葉月の高揚は一気に膨らんだ。
「キミは、出来るかな。」
 アーヤは、それを揶揄するように言った。
「全てを犠牲にしても、その望みを掴み取る覚悟を。」
 葉月は強い眼差しを闇へと向けた。
「ボクはもう、何もいらない。・・・望むらくは
     初美だけだ。」
 何も見えない闇から、アーヤが微笑むのが分かった。

 「キミが強く望むのならば、僕はそれを叶えよう。
  キミがそれを願うのならば、僕はキミを導こう。」

 詠うように言葉が流れ、その余韻を裂き、背後から金具が外れるような音が鳴る。
 ・・・・扉の鍵が外されたのだと、葉月は分かった。
「葉月は扉を開き、すべきことをすればいい。リリスがそれを支えてる。あとは、その刀が教えてくれる。」
 葉月は、刀へと目を向けた。
胸元まで持ち上げ、そして強く握り締める。
 確かな、重みと堅さを感じた。

  葉月は踏み出した。
 薄暗い部屋を、靴音が叩く。
 振り返らない、立ち止まらない、強くある為の歩み。
 彼女の為に、強く在ろうとする歩み。
 まっすぐに前だけを見つめ、消して逸らさない覚悟の歩み。
 葉月は、正面に聳える扉へ、臨んだ。
 
 その背が、扉の彼方へと消えた。


「ーーーーーーーー」

 アーヤの呟きは、誰知れず、闇へと消えた。




 肌寒い夜気が、頬をなでた。
 葉の擦れる心地よい音が、耳を滑る。
見渡すと、それは竹林の奏でる音だと分かる。
皓々と輝く月明かりを受け、浮き出るシルエットは、幻想的に揺れていた。
  ーーーー見覚えがある。
 葉月は、記憶を辿るように、細道を辿った。
葉月の心中を表すかのように、草を踏みしめる足音は、徐々に感覚を失なってゆく。
 竹林が、途絶えた。
葉月は、夜の涼風に身を晒し、眼下に広がる物を一望した。

 ーーーーー竹の砦。

 それに肯き、呼応するように、一陣の風が吹いた。
黒髪は、冷風に舞い、制服を翻す。

  リリスが、ここに留めてくれている。
 
 何故か、そう感じた。確信するように。
    
    葉月は駆けた。

 星が滲む空に背を押され、髪を闇にとかし、
  葉月はまさに、風のように駆けた。
 美しい、駿馬のように。

ーーー感じる、“彼女”の場所が・・・分かる。
 
 葉月は一心に“彼女”を目指した。

 葉月は、人気のない物静かな回廊を走り抜ける。
見知った造りの屋敷。
しかし、内装は記憶の物と多少異なり、幾分塗装が新しいように思えた。
 その奥に、他の物とは違う装飾の施された襖が見え、
葉月は、引きつけられるように、そこへ向かった。
 そして、走る勢いもそのままに、襖を開け放った。
 
  そこには、1人の少女がいた。

 縁側の近くに正座し、静かに月を仰ぎ見ていた。
月光に白い肌が輝き、淡くその姿を際だてる。
それは、触れると消えてしまうのではないかと思えるほど儚く見えた。
 月を映すその瞳は、白い肌に良く映える、綺麗な緋色をしていた。
  
 “なよ竹のかぐや姫”

 ふと、彼女は目を伏せると、その双眸を、葉月へと傾けた。
 そっと、口元を綻ばせる。
葉月は、その姿に追い求める姿を重ねた。

 瞬間、指先に鼓動のような感触が痺れるように伝わった。
反射的に、葉月は腕を持ち上げた。
握られた刀が、葉月の手に早鐘のように脈を打つ。
 葉月は柄を引いた。
途端に鞘から光が溢れた。
口金に刃が擦れ、金属特有の音を立てながら、刃は鞘から抜ける。
刀身は、眩いほどの光に包まれていた。
煌々と輝く刀を、葉月は無意識にかかげる。
 その時、少女が刀と同じ輝きを放った。
迸る少女の輝きが、解れるように刀へと向かう。
 刀は、光を収束しはじめる。
刀が輝きを増す度、少女が幽鬼のように薄れ、霞んでゆく。
 その姿に葉月はどうしようもない悲しみと切なさを覚えた。
薄れ、消えていく少女は葉月へ、優しすぎる、そんな微笑みを贈った。
 
   葉月は、その微笑みに、思わず目を伏せた。

 零れそうになる物を必死でこらえ、顔を上げると、その皮膚に、暖かな光を感じた。
一面を埋めるのは鮮やかな黄色。
陽光を湛える花弁は、暖かな色を灯す。
視界一杯にひろがる向日葵は、どれも劣らず、綺麗だった。
 その奥に、白い教会が見えた。傍に干された洗濯物が、はためいている。それは、清潔そうな色をしていた。
背に広がる青空に良く映える、そう思えるような景色だった。
 どこまでも、どこまでも、暖かく平穏な風景だった。

 葉月は、突然見覚えのない場所に立っていることに驚き、立ちつくしていると、何処からか、3,4人の小さな子供が、葉月を囲んでいた。
無邪気に、楽しそうに、葉月のまわりを駆け回っている。

 その声は、TVの音声を消したかのように、何も聞こえなかった。

 その内の1人が、葉月の手を取った。
葉月は戸惑いながらも、彼に手を引かれた。

 向日葵に見送られるように、向日葵の道を歩いた。
子供達は相変わらず葉月のまわりを駆け回っていた。
こんなに楽しそうに笑うのに、その声も変わらず届かない。
  そのことが、何処か悲しかった。
 不意に、子供達の脚が止まる。
葉月は、それに吊られるように、正面へと顔を上げた。

  そこには、白い服を着た“彼女”が立っていた。
 
 “彼女”は、葉月と目が合うと、向日葵のように、笑んだ。
葉月は、その微笑みに目を奪われた。
握られていた手の感触が消えていることにも気付かないほどに。

「ーーーーー!」

 葉月の、叫ぶような呼び掛けは、持っていた抜き身の太刀の輝きにかき消される。
刀は瞬く間に“彼女”の光を呑み込んだ。光が収まると、その白い姿は跡形もなく消え失せ、そこには微笑みの余韻だけが残った。
 葉月は、硬く目をつぶった。
“彼女”達が消える姿は・・・初美が自分の前から姿を消したときの光景を、嫌でも引きずり出した。

 葉月は、唇を固く結んだ。
 嗚咽を飲み込み、瞼を開いた。

 葉月は、駆けた。
まっすぐに前だけを見据え、一心不乱に駆けた。
その先に、1人の人影が見えた。
 その瞬間、葉月は刀を前に突きだし、その姿を見まいと再び硬く目を閉じた。
太刀は光り、葉月の手に微震動をあたえ続ける。
それが収まると、葉月は再び、駆けだした。
己の感覚を頼りに、暗闇の中の、ひとつの光明に向かって。
葉月は、無我夢中で太刀を掲げた。
それに応え、刀身は煌めき、ソーマを吸収していく。
葉月は、走り続けた。
脚が重くなり、息も荒くなっていることにも気付かずに。
耳が、壊れたように何も聞こえなくなった。
目が、見えているのに認識できなくなった。
口腔を通る風の音だけが、頭を占めた。


 睡魔に頭をなでられ、うとうととしている時に、ふと頭が冴えるような感覚が通り過ぎる。
そこは、夕日に染まった見慣れた通学路だった。
一瞬、今までのことは夢だったんじゃないかという思いが過ぎる。
しかし、握った太刀がそれを否定している。

  その時、携帯が着信を告げる電子音がなった。

 葉月は取り出し、少し迷ったが、開けた。
画面は、メールの着信を表示していた。
 差出人は、ーーーー初美。

不意に、葉月の胸に不快な物が過ぎる。
・・・この時間、この場所で貰ったメールが重なり、頭に蘇った。
   
 用事が出来ちゃった。悪いんだけど、先にごはん食べてて。

 葉月は、ボタンに指を添えたまま、立ち尽くした。
微かに強ばる指に力を込める。
小さな電子音をたて、メールが表示された。
 それは、葉月が思っていた内容とは、違っていた。


 葉月は、長い黒髪を夕陽に翻し、まだ疲れの残る脚を、引きずるように、駆けだした。

 携帯を握り締め、見開いた目が乾燥して痛むのにも構わず。

 瞬く時間さえ、惜しい。 

 いつもなら、帰宅する人で埋め尽くされる駅前も、水を打ったように静かだった。
 
 葉月は、点滅する信号を無視し、大きな交差点を直線に横切った。

駅ビルの横に、脇道を見つけ、そこに身を滑らせる。

薄暗い道の先に、夕陽の赤い筋がみえた。

そこまでが、とても長く感じた。

ただ走った。

時折、狭い壁に肩が擦れたが、気に留めなかった。

路地を、抜ける。

 そこには、様々な光が躍る、遊園地があった。
正面には、初美と乗った、あの観覧車が聳える。

それは、夕陽の中で鮮やかに光り、巡っていた。

 葉月は、それを見上げ、静かに佇む。

   そして、ゆっくりと視線を落とした。

  
   

      
風が 吹いた。



 


 
  葉月の手の中で、携帯の画面が光っていた。

   《 今度は、ボクが連れて行くよ 》

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