ヤミと帽子と本の旅人〜ショートストーリーズ〜
作者&イラスト:こずみっくさん
世界の交叉路の上で#11 |
たった一人の少女が立っていた。 愛しい、少女が立っていた。 唇からこぼれ落ちた言葉を、風はさらう。 夕陽の中に、髪が散らばった。 少女は此方に背を向け、観覧車を見上げていた。 電飾が、眩しいほどに煌めいて、少女の姿を浮き彫りにする。 葉月は、何を思うよりも先に踏み出した。 愛しくて愛しくて、泣き出しそうなほど切なくて、それが息苦しいほどに胸を締め付ける。 いつの間にか、踏み出す脚が待ちきれず 速度を増した。 そして、はち切れそうな歓びを抑えるように、ゆっくりと手を伸ばした。 何が起きたのか、分からなかった。 ただ鈍く回る頭でようやく認識できたのは、少女の背に、5本の突起が生えているということだけだった。 −−−−違う 突起は黒く、棒のようだった。 −−−−違う 5本の突起は、棒の先端の場所から、枝分かれするようだった。 −−−−−−−違う! 冷めていく頭の中で、認識を改める。 あれは−−−黒い手袋をした手だった。 −−−−−−−−−違う違う違う! 手が、少女の体を貫いている。 その時だった。 刀が身の竦むような強い拍動を発したのは。 葉月が驚き、反射的に刀を見ると同時に、少女は目の眩むような閃光を放った。 目的も忘れ、ただ焦った 後数歩の距離 それが、どうしようもなく、遠い 抱き締めたい ここで消えたら、もう会えない気がした 抱き締め たいんだ 光がほつれはじめる。 太刀は冷厳にも、しかし忠実に役目を行った。 もう少し 後一歩 逸る気持ちと不釣り合いに遅い身体 走ることしかできない体がもどかしく 踏み出す足がどうしようもなく重い 届かない 決して終わらない、久遠の悪夢のように 必死で、何もかもが遠すぎて、何も分からない 手を伸ばした 暖色を湛える 柔らかい髪 指先を滑る癖のない感触 優しく包んだ陽光の香り 全てが鮮明に蘇る ボクは・・・君を忘れる事なんて、出来ないんだよ。 その温もりを、その感触を、再び抱き締めることが出来る。 一瞬先の“幸せ”を夢想し、胸が詰まるほどの歓喜に全身が痺れた もう、何も見えなかった 鼓膜が痛む 目が痛む 呼吸が出来ない 苦しい 体が 動かない 破裂音。目の前の少女が、光と共に、砕け散った 夕陽の中、遺された光の粒子が迷子のように漂っていた まるで時間が止まったかのよう 自分だけが、このセカイから切り離されたかのよう 粉雪のように漂う光の先に、黒い影が佇んでいた。 次の瞬間 渦巻く熱い物が押し寄せてきた。 息が詰まりそうなほどの怒り。 その熱さに腕が震えはじめた。 全てが奪われた。 「−−−−−−−−−−−−−−−−−−−!!!」 怒りの熱が口腔に押し寄せ吐き出すように、哮り立つ。 肺の空気がなくなるまで、吐き出す空気が無くなって尚、叫び続けた。 何を言っているのか、何を叫んだのか分からなかった。 体中の酸素を捻り出しても、怒りは全く収まらない。 悔しさに目頭が熱を帯びた。 柄を両手で強く握る。 アスファルトを叩くように踏み切り、その影へ肉迫すると、白刃を腕ごと叩き付けた。 憎くて悔しくて何もかもが分からない。 フードを被る男が、何故ここにいるのかなど考えもしなかった。 どうでも良かった。 ただ、悲しかったんだ。 男の身体は胴から二つに裂け、地面に鈍い音を立て落下した。 転がる上半身を、葉月は肩で荒い息を吐きながら見下ろした。 血はでない。 かわりに切断面からは青白い光が溢れていた。 それは刀に吸い込まれず、暗くなり始めた空にゆっくりと吸い込まれていく。 次第に、頭部を覆うフードが光にかわり、空に溶けるように消えた。 夕陽に晒されたのは、見覚えのない、顔だった。 葉月がそれを訝る間もなく、靴底からアスファルトの感触が消えた。 反射的に、落下への畏怖から身が竦んだが、身体が動かないことに気付く。 唯一動く視線を上げると、夕陽は暗闇に瞬く間に呑み込まれていった。 「・・・守れなかった。」 葉月は呟くような、か細い声を紡いだ。 「ボクの誓いなんてそんな薄物なのか・・・。」 皮膚に爪が食い込むほど握り込んだ。 「最低だ・・・ボク」 微かな呟きは、どうしようもなく震えていた。 「また、ダメだったみたいだね。」 直ぐ近くか、遙か遠くか、どこからか声が響いた。 「もう・・・初美に会えないのかな・・・。」 耳元か、手を伸ばしても届かない彼方からか、声が響いた。 「そうだね。最後のイヴの欠片が“彼”に取り込まれてしまったから、再生は無理だろうね。」 変わらず、軽快な口調。皮肉なまでに、軽佻浮薄。 「まだ、ソーマの残滓が残ってたみたい。本体・・・ガルガンチュアが消えて、独自に動いているうちに、動き易い身体を形成したんだろうね。でもやっぱり、ちゃんとした身体がないとソーマを維持するのは難しいからソーマの香肉体へ惹かれたんだろうね。」 一望に広がる闇が、その口調と対を為すようだった。 半ば予想していた答えに、葉月は落胆することはなかった。 唯、呟くように頷いただけだった。 「−−−人は、何故光を目指すと思う?」 何の突拍子もなく、訊く。 「人は常に闇にいるんだ。闇こそが、一番自然なあり方なんだよ。君は唯それを自覚したに過ぎない。自覚しただけで、何も変わってないんだよ。」 葉月は見詰めた。混濁した、酷く澄んだ闇を。 「ボクの光は、初美だった・・・初美はボクの光だった。 初美が、ボクの全部だったんだ。 初美は・・・ボクには眩しすぎてボクには掴めないけど、傍に・・・いて欲しいんだ。」 言葉が続かなくなり、葉月は口を噤んだ。 「どうしても欲しいのかな?」 重さのない、何処までも軽い言葉。注意しなければ、聞き流すような、そんな薄さ。 葉月は、その声に答える。 「−−−欲しい。」 今にも消え入りそうな細い声。 しかし、それは折れることなくまっすぐに進んだ。 「・・・光を掴む為の腕以外を切り捨てても?」 葉月は、一瞬息が詰まるのを感じた。 「これは単なる喩えだけど、意味はそう違わない筈さ。 一つの大切な物を取り戻すために他の物と引き替えにする。何もないところから、何かを生み出すのは最大の禁忌だからね。 そして、“世界の交叉路”は、それを可能にする。」 突然、辺りが白くなり、目が眩んだかと思うと、立ち眩みの不快感がこめかみに刺さる。 体に重さを感じ、唐突に顕れた床に足が竦むように曲がった。 数回たたらを踏みながらも、何とか顔を上げると、 そこは、“あの場所”だった。 「ここはね、イブのいた世界に限らず。キミの望む世界に繋げることも可能なんだ。その代わりに、キミは何かを失わなくちゃいけないんだけどね。」 光源がないのに、不思議と明るい部屋。 葉月は静かにそれを見据えた。 |